どうも鳥井(@hirofumi21)です。
今日はわりとライトというか、情緒的なお話。
僕がよくPodcast(ラジオ番組)やオーディオブックを聴くというのは、このブログをいつも読んでくれている方々であれば周知の事実だと思います。
この前も、何を聴こうかなって思いながら、iPhoneにイヤホンを差し込んでいたら、ふと自分の心情の法則に気が付いたんです。
今日はその気付きについて少しだけ。あと「現実逃避と暮らしメディアの関係性」についても少しだけ書いてみようかなと。
Podcastは寂しい時に、オーディオブックは孤独になりたい時に聴く。
Podcastを聴こうと思う時、それは社会と繋がりたい時であって、もっと言ってしまえば、なんだか寂しい時なんですよね。
荻上チキさんも確か「Session-22」の中で話していたと思うのですが、家に帰ってきてすぐにテレビつけてしまうあの感覚に近いのかなぁと。
一方で、オーディオブックは自己を深めたい時、もっと言ってしまえば、社会から断絶されて、ひとり孤独になりたい時に聞くことが多いです。
なので、平日は基本的にPodcast番組を消化しつつ、オーディオブックを聞くのは土日が多いです。あとは一人旅の移動中など。
この違いに気付いてからは、何か自分がコンテンツを作り出す時に、「寂しくて社会と繋がりたいと思った時に触れてもらいたいものなのか」それとも、「放っといて欲しくて孤独になりたいと思ったときに触れてもらいたいものなのか」っていうことを、よく考えるようになりました。
僕の場合で言うと、このブログなんかは、どちらかというとオーディオブックに近くて、孤独になりたい時に楽しんで欲しいなぁと思いながら書いています。
一方で、ファーさん・くいしんさんと一緒にやっているツイキャスなんかは、社会と繋がりたい時、寂しい時に楽しんでもらうコンテンツになればいいなぁと思いながらやっています。
暮らしメディアと現実逃避の関係性。
さて、少し話が変わってしまいますが、昨年尊敬している方に教えてもらったお話の中で、「暮らし系のメディアは、現実逃避のためにもあるんだよ」っていう話がとても印象に残っていて、それを聞いたときになるほどなぁと思いました。
その方が発信してきた内容は、いちばん暮らしに紐付いていそうなところであり、地に足がついていそうなところ。それなのに現実逃避の目的のために読まれるなんて考えたこともなかったので、なんだか目からウロコでした。
それまで、僕が考える現実逃避といえば「スター・ウォーズ」のようなSF超大作や、長編ミステリー小説、大恋愛ドラマなど浮世離れしたものばかりだと思っていたので…。
けれど、自分の体験の中から思い返してみれば、その方が書いたエッセイ集だったり、もしくは暮らしを紹介するような穏やかなメディアのコンテンツって、なんだか心を落ち着けたい時に触れていることが多かったんです。どちらかというと、自分の中でちょっと現実逃避したいなぁって時に読んでいた。
なにもドンパチした映画や、ジェットコースター的なコンテンツばかりじゃなくて、穏やかで一番人の生活に寄り添っているものであっても、人の現実逃避に寄与できるコンテンツがあるんだなぁと、妙に腑に落ちた記憶をこの記事書きながら思い出しました。
最後に
人が何かのコンテンツに触れるとき、それは必ず何かしらの目的があって、その課題を解決するために、そのコンテンツに触れようとしてきてくるわけです。
その時に、相手の目的を達成させたり、その課題を解決してあげることが第一義的な目標であることはもちろんなのですが、人間関係と一緒で、ただただ読者の気持ちに寄り添うということも大切なのかなと。
そうすることで、受け手の人たちにとって、もっともっと親切なコンテンツになるのではないのかなぁと思うのです。
そんなことを考える今日このごろ。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!