鳥居さん、もうひとりの自分。

今日は少しどうでもいいことを書いてみようかなと。

最近「灯台もと暮らし」の編集部で更新している『もとくらの袋とじ』という有料noteマガジンで以下の記事が公開されました。

【Slack雑談】鳥居弘文問題 | 灯台もと暮らし | note

内容は本当にくだらないもので、僕の名前が「鳥居弘文」と間違われることがあまりに多くて(※正しくは鳥井弘文)それを社内のslackに共有したところ、思いのほか盛り上がったという話です。

名前を間違う人の共通点。

さて、名前の変換ミスは、PCやスマホが原因だからしょうがないよなあと思いつつ、間違う人の共通点にも気が付きました。

不思議なことなんですが、その多くはこのブログを読んでご連絡をくれた方々なんです。

そういえば、以前こんな記事を書いたことがあります。

参照:ひらがなやカタカナのハンドルネームではなく、本名(漢字)を選んだ理由。 | 隠居系男子

テレビやネット上で活躍している人たちって、自分の本名とは別の名前で活動している方って多いですよね。

芸名などはその最たる例だと思います。

上記の記事を書いた時は「覚えてもらいやすくなる」ということをメリットとしてあげたのですが、自分の名前が頻繁に間違われることを通じて、もう一つメリットがあることに気が付きました。

それは、自分自身を俯瞰しやすくなるといことです。

「鳥居さんはなんて言うかな?」

判断基準が自分なんだけど、自分じゃなくなるんです。

昔、矢沢永吉さんが言ったとされる名言「俺はいいけど、YAZAWAがなんて言うかな?」

まさにこんな感覚になってくるんです。

僕にとって、意図せず生まれた鳥居弘文がもうひとりの自分みたいになってきているため、何か行動するときでも、「自分はいいけど、鳥居さんはなんて言うかな?」って考えることが増えてきているんです。(本当にくだらない話なんですが…)

上記のブログでも書いたように、実際の自分ともうひとりの自分の乖離が大きすぎると、精神的な不調をきたしてしまうのかもしれませんが、「なりたい自分に書かせろ!」とこのブログで何度も書いてきたように、功を奏す場合もあるのだなと。

参照:ブログやSNSでネガティブなことも書いたっていい。大切なのは「自分は何をもって覚えられたいのか」ということ。 | 隠居系男子

最後に

頻繁に自分の名前が間違われることに少し嫌気がさしてしまうときもあったのですが、最近は少し好意的に捉えています。

しばらくの間は、僕の中にいる「鳥居さん」にこのブログを書かせてみようと思います。

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