「鳥井さんは、連絡をくれる方や懇親会で出会う方と毎回ちゃんと話をしていて、すごいですよね!」
こんなことを、社内外の人から言われることが増えました。
僕としては、何か特別なことをしているつもりは一切なく、当たり前こととして実践しているだけなのですが、「なぜそうしているのか?」あまり明言してこなかったので、今日はそのことについて少しだけ。
このブログでたまに書く、スピリチュアルシリーズです。
神の啓示の一種。
僕は、偶然の出会いをとても大切にしています。
なぜなら、突然連絡をくれる方というのは、何かしらの神の啓示の一種だと思っているから。
それは奈良県の天川村へ行ったときから変わった感覚でもあります。
参照:天河大弁財天社(別名 天河神社)そこは「何か」が居る場所。 | 隠居系男子
たまに本当にいるんですよ、普段のこの人ではなく、何かしらを伝えてくれるために憑依して現れてくれたんだなあという人が。
参照:たまにふわっと現れては消えていく、神様や仏様みたいな女性。 | 隠居系男子
その人と一緒に、その人の背後にいる神さまと対峙するようなイメージで。
だから、偶然のタイミングで出会った相手は、特に大事にしています。
極端な話、その人を現人神だと思いながら話しています。
「みんな必ず何かしらの神さまを連れている」というのが僕の持論です。もうすでに知っている神さまだけが神さまじゃありません。
だからこそ、その人と一緒に、その人の後ろにいる神さまと対峙するようなイメージで。
そうすると「この人はどんな神さまを連れているんだろう?」って、途端にものすごくワクワクしてくるんですよね。
自分の対峙の仕方ひとつで、会話がめちゃくちゃ楽しくなるし、得られる学びも全く異なってくるんです。
最後に
目の前にいる相手に、優劣なんて絶対に存在しません。
自分が相手から学ぶ意欲があるかどうか、それに尽きます。
いま、全力で学ぼうと思ったら、どれだけ苦手な相手からだって学ぶことはできます。
僕はいつもそんな気持ちで、偶然の出会いを大切にしたいと願いながら生きています。
いつもこのブログを読んでくださってる方々の何かしらの参考になれば幸いです。