民藝的なひと。

昨日、こんなツイートをしました。

たまたま雑誌をめくっていたら、この5つ基準が目に入ってきたんですが、この基準を見た時にブログで書いてきた「どんな人で在りたいか?」とほぼ一緒だって思ったんです。

たとえば、この記事。

倫理観と誠実さを持ち合わせ、人柄が良くセンスあるヤツが勝つ時代。 | 隠居系男子

あと、このあたりの記事もそうです。

あえて「あざとさ」を消すということ。 | 隠居系男子

それでも、正直者が得をする社会へ。 | 隠居系男子

なにより「じっくり育まれた信頼感を愛でたい」というのは、民藝に対峙するときの気持ち、そのものな気がします。

参照:じっくり育まれたものを愛でたい。 | 隠居系男子

自身のピュアな部分に忠実になればいい。

受け手側の目がこれだけ肥えてきたのだから、経済合理性に従ってつくられた恣意的なものが見抜かれてしまうのは当然のことなのかもしれません。

そしてそれは、物でもひとでも同じこと。

ただ、この5つの要素を突きつけられると、なんだかとても難しいことのように思えてしまいますよね…。

僕も一瞬そう思いました。

ただ、実は意外と簡単なことなのかもしれないなとも思うのです。

なぜなら、今の自分に何かを付け足していくのではなく、ムダな要素をドンドン削ぎ落としていって、自分のピュアな部分に忠実になればいいだけなのだから。

参照:何があなたにとってピュアな部分なのか。 | 隠居系男子

最後に

本来、物もひとも民藝的な存在だったはずなんです、もともとは。

ただ、社会や制度が求めたから、物もひともドンドン精密高度な工業製品的な形に変化していっただけで。

でも、日本の民藝がいま国内外から注目を集めだしているように、工業製品的なグローバル人材を下手に目指すよりも、民藝的なローカルな人材に振り切ったほうが本当の意味でグローバル人材になれるような気がしています。

「超グローバル」と「超ローカル」の世界で。 | 隠居系男子

真のグローバル化とは、徹底的に日本の原風景を理解すること。 | 隠居系男子

民藝的なひと。これから自分の中でも少し深めていきたいテーマです。

今日もだいぶ抽象的な話をしてしまいましたが、いつもこのブログを読んでくださっている方々に何かしらの参考になれば幸いです。

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