自分の中の苦手やコンプレックスを通じて、他者に寄り添えるのは立派なスキル。

先日、とっても共感する記事を読みまして。


近づきたくても近づけないという焦燥感が、多くの共感を呼ぶ。

どうしても、僕らは、自分の中の圧倒的な「得意」が仕事になると思いがち。

実際に、僕もこのブログで似たようなことを何度も書いてきました。

でも、実際はそうじゃないという場面も往々にしてあるんだと思うんです。

たとえば、オシャレに対して苦手意識があるひとがそのコンプレックスをバネにして創り出すファッション誌のほうが、きっとおもしろいと思うんですよね。

なぜなら、苦手意識を抱きやすい部分だったり、コンプレックスに感じやすい部分もちゃんと理解できているから。

センスのある人に対してある種の憧れや、それに近づきたくても近づけないという焦燥感が、表現の随所ににじみ出て、多くの人の共感を呼ぶ可能性が高いです。

「『ダサさ・エモさ・わかりやすさ』の三つが超大事。」

この点、佐藤航陽さんが先日とっても共感するツイートをしていました。

以前、僕が下記のブログ記事の中で書いてみたかったことでもあります。

参照:「かっこよさ」より「わかりやすさ」が大切。 | 隠居系男子

コンプレックスから生まれる探究心のほうが、世間的には価値がある。

だから、「無理やりにでも、ダサくしろ!」って言いたいわけではありません。

ここで僕が主張したいことは、「自分の中にあるコンプレックスから生まれる探究心のほうが、世間的には価値がある(求められている)可能性がある」という事実に、もっともっと目を向けて欲しいということです。

「私なんか…」と思わずに、興味関心があることに対しては全力でチャレンジしてみたほうがいいと思うのです。

賢すぎるひとから勉強を教えてもらっていると、相手が賢すぎるがゆえに、どんどん相手がイライラしてきて「わらからないことが、わからない…!」と怒られてしまった経験って、きっと誰もがあるのではないでしょうか。

きっとこの話も、あの話に似ているのだろうなあと。

最後に

自分の中の苦手やコンプレックスというフィルターを通して、他者の苦手やコンプレックスに寄り添えるというのは、立派なスキルです。

そして、それを毎日続けていけば、いつかセンスという才能さえも凌駕する日が必ずやってくる。

参照:毎日続けることは才能さえも凌駕する。 | 隠居系男子

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっている方々に何かしらの参考になれば幸いです。

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