他者とのコミュニケーションの難易度があがってきた理由。

いつだったか、WaseiSalonのメンバーでもあるタナカユウキさんが、ふとこんなことを言っていました。

「コミュニケーションの基礎が、誰もが幼稚園で当たり前のように習うような『自分がされたら嫌なことは、相手(他者)にもしない』ということだったはずなのに、最近はそれが変わってきましたね。」と。

僕はこの何気ない一言がしばらく頭から離れなくて…。

確かに、最近は「自分にとっては飛び上がるほど嬉しいことであっても、相手が嫌だと思う(であろう)ことはしない。」という風潮に変わってきている気がします。

つまり、考えるべき主体が完全に移り変わってきたということなのだろうなあと。

自己から、他者へ。ここ数年で一番大きく変わってきている点だと思います。

最近、このブログでも「相手の立場に立って考えることが大切」と何度も書いてきている理由も、まさにここにあります。

複業を始めようと思っているときほど、相手の立場になって考えてみる。 | 隠居系男子

相手の尺度を変えるために、相手の立場に立つことの重要性。 | 隠居系男子

最低限求められるスキルのレベルが、グッと底上げされた感覚。

もちろん、これまでの社会であっても、「相手の立場に立って考える」というスキルは非常に重要なものでした。

ただ、一般的に最低限として求められるスキルは、「自分がされたら嫌なことは、相手(他者)にもしない」までで。

「相手の立場に立って考える」というコミュニケーションができる時点で、優秀なひとと認定されていたと思うんです。

でもこれからは、全員が最低限備えるべきスキルとなった。

「多様性」という言葉が叫ばれるようになってから、最低限のレベルが一気にグッと底上げされた感じです。

最後に

なかなか難しいことですが、そうやって最低限のレベルが少しずつ底上げされながら、成熟していくのが社会です。

これはもう、それぞれが適応していくしかありません。

そのためにこそ、僕らは必死で学んでいく必要があるんだろうなとも思います。

具体的には、これからの教養を身につけるということでもあると思うし、立場が全く違う者同士が交流しつつ、素直に心を開き合う経験を通しながら、実践を通じて淡々と学んでいくしかない。

参照:「友達」という存在に心の底から「感謝」をしたい | たっけのメモ

なかなかハードモードになってきたなあとは思いますが、皆が心地よく、より良く暮らすためには絶対に必要な試練なのだろうなあと。

そんなことを考える、今日このごろです。

いつもこのブログを読んでくれている方々にとっても何かしらの参考になれば幸いです。

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