昨日、まったく別々の文脈で2つのツイートをしてみました。
ひとつはこちら。
自分の信念に反して魂を売れば、うまくいく方法なんて山ほどある。自分の美意識から逸脱せずにその枠やルールの中で結果を出すことがめちゃくちゃ難しい。でもだからこそ、そこで諦めずに針の穴を通すような途方もないことに挑戦することが大切なんだと思います。それが自分の人生を生きるということ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月3日
そして、もうひとつはこちらです。
何か新しいことを始めたひとに対して、ロジカルに批判することは、誰にでもできること。でも、その批判が来ることさえも覚悟して、それでも一歩踏み出してチャレンジすることは、誰にでもできることじゃないんです。ただ、そのチャンスが目の前に存在していることは万人に共通していることなんだよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月3日
今日はこのふたつのツイートに込めた想いについて、少しだけ書いておこうかなあと。
読んでくれたひとに、絶望的な気持ちで読み終えて欲しくない。
最近ずっと意識的に行っていることなのですが、どれだけ絶望的な内容であっても、最後は希望やエールを送りたいと思っていて。
事実を評価して、それをわかりやすく言語化できたとしても、読んだひとが絶望的な気持ちになってしまったら、元も子もない。
「それでも希望はある、そんなエール(解釈)を送りたい」そう思いながら日々発信するようにしています。
どちらも構造は全く同じ。
だから上記のツイートも全く別々の話をしているのですが、140文字の構造は全く同じなんです。
具体的には…
事実
↓
評価(認識や気づき)
↓
絶望
↓
微かな希望(エール)
この順番になっているはずです。
絶望に辿り着いたからこそ、次の一歩を踏み出す勇気にもつながって欲しい。
きっと僕と同じように、ニヒリズムな発想をした結果、絶望しているひとって結構いるはずで。
でもそれは、少しだけ視点を変えれば、希望にも変わり得るかもしれない。
それをどうしても伝えたくて。
「よりわかりやすく言語化した結果、絶望して終わり。」みたいな感じには絶対にしたくない。
その絶望に辿り着いたからこそ、次の一歩を踏み出す勇気につながったらいいなあと心の底から思うのです。
最後に
過去に何度もこのブログにも書いてきていますが、僕は宮崎駿さんの「それでも、この世は生きるに値する」というメッセージが大好き。
鈴木敏夫さんがいつも仰っている「理想を失わない現実主義」という発想も、きっとこういうことなんじゃないかと思っています。
いつもこのブログを読んでくださっている皆さんにとっても何かしらの参考になれば幸いです。