最近、ずっと考えていることがあります。
それが今日のタイトルにもあるように「わからない問いを、あえてわからないままにしておくことの重要性」について。
どうしても僕らは何か新しい問いを見つけると、その答えをすぐに求めてしまいがち…。
でもそうすると、どうしても短絡的な発想になってしまうんですよね。
それは本当の答えじゃなくて、自分にとって都合のいい“偽りの答え”です。
その事象をネガティブにとらえてしまうのは、もったいない。
たとえば誰かが「新しい商品」について全力で宣伝していたとしましょう。
その様子を見て、「どうしてこの人はPRを手伝っているんだろう…?」と思ったとする。
そのときに、「どうせお金をもらっているんだろう」と短絡的な答えをだしてしまったことってありませんか…?
確かに、本当に当事者同士の間で金銭の授受が行われているかもしれません。
でも本当の動機は、また別のところにあるかもしれない。
にもかかわらず、短絡的な答えを出してしまって、本当のところを知ろうとせず、その事象をネガティブにとらえてしまうのは、本当にもったいないことだと思うんです。
「自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片に過ぎなかったこと気づく。」
そんなことをうだうだと考えていたら、最近読んだ本に答えがバシッと書いてありました。
森下典子さんの『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』というエッセイ本です。
少し引用してみます。
世の中には、「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の二種類がある。
すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリー二の『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。
そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片に過ぎなかったこと気づく。「お茶」って、そういうものなんだ。
ここの引用箇所は序章部分で、「これが一体どういう意味なのか?」について、本書の全体を通して著者のお茶の経験を交えながら語られていきます。
あとから「答えらしきもの」に出会ってもスルーしてしまう。
わからない問いをわからないまま保留しているからこそ、気づけることが絶対にある。
勝手に自分の中でわかったことにしてしまうと、その問いはもう自分の中では解決したことになってしまうから、そのあとに何か「答えらしきもの」に出会ったときも、気付かずスルーしてしまうんですよね。
せっかくいい問いを生み出しても、それだともったいないと僕は思うんです。
最後に
さて最後に、この書籍を原作とした映画『日日是好日』もオススメしておきたいと思います。
というか、この映画がとても良かったから、僕は原作も読もうと思いました。
茶道の知識が自分の中にまったくなかったため、一度映像で観てから原作を読むことでより理解が深まったので本当に良いきっかけになりましたよ。
ぜひ気になる方は、映画も合わせて観てみてくださいね。
今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になったら幸いです。
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