先日こんなツイートをしてみました。
これまでは、新しいプラットフォームやサービスをつくり出す側のほうがカッコよかったけど、最近は、続々と生み出されるプラットフォームをうまく使いこなしながら、新しい事業をドンドン生み出しつつ、全体として独自の世界観や独立した経済圏をつくり出すほうがカッコいいっていう流れになってきた。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月5日
なんでそう思うようになってきたのかなあって、改めて考えてみたんです。
今日はそんなお話を少しだけ。
挑戦した回数は信頼に値する。
僕は保守的な人間なので、「餅は餅屋」だと割と本気で思っています。
なぜなら、「完成度の高さ」は、そのことについて考え続けている「時間の長さ」と「経験した場数」に比例するから。
挑戦した回数は信頼に値する、本気でそう思っています。
プラットフォームオタクのようなひとたちの存在。
そう考えると、インターネットでも「餅は餅屋」という状況になってきたのかもしれないなあと。
今から約20年前、誰もがインターネットの素人でした。
だから、素人だとしても手探りの状況でプラットフォームをつくりあげることができたわけです。
でも今は、プラットフォームを何個も成功させてきたひとたちが、新たな新規プラットフォームを作り出し、ドンドン世の中に送り出しているような状態です。
もちろん、「新規参入するな」っていうわけではありません。
挑戦してみたいことがあれば、全力で挑戦してみたほうがいいと僕も思います。
ただし、プラットフォームが大好きで、そのことだけを日夜考え続けているプラットフォームオタクみたいなひとたちがいる中で、ただ規模感や利益だけを狙って、わざわざ挑戦する必要もないのかなと。
カルチャーを育てていく環境が整ってきた。
「じゃあ、先行者利益みたいな話で、後発の人間は諦めろってことか?」そんな風に思うひともいるかもしれません。
確かに、プラットフォームのような形は早々に諦めたほうがいいのかもしれない。
しかし、そうやって先人たちがプラットフォームを整えてくれたおかげで、もっと文化的な活動ができる素晴らしい環境がインターネット上に生まれてきているのもまた事実。
リアル社会で言えば、電気やガス、水道などのインフラが整ってきたようなものです。
ここにきてやっと、カルチャーを育てていく環境が整ってきたとも言えるのではないでしょうか。
これってものすごく大きなチャンスですよね。
最後に
だからこそ、それらのプラットフォームを上手に活用して、自分だけが気づいている価値を最大化することに徹したほうがいいなあと、僕は思うのです。
そうすることで、自分もその町でひとりめの「餅屋」になることができるから。
そうすれば、町の海苔屋さんと一緒に「最高の磯辺焼き」つくってみてもいいかもしれないですし、街の大工さんと一緒に臼や杵をつくって「餅つき」のような新たな文化的活動をつくり出すこともできるかもしれません。
そうやって場のつながりでどんどん横でコラボしていくほうが、結果的に自分の居場所づくりや幸福感にも繋がっていくように感じます。
リアルの地域コミュニティを見ていると、なおさらそう思います。
最後は少し抽象的な話になってしまいましたが、いつもこのブログを読んでくれている方々にとっても何かしらの参考になれば幸いです。