「一定の効果があるかどうか」と「それが唯一無二の手段なのか」は分けて考えたい。

この記事を書いてから、「怒り」について様々な意見が皆さんから寄せられてきています。

怒らなければ、うまくいく。 | 隠居系男子

それを受けて、昨日さらに思うことをツイートしてみました。


「怒る」と「叱る」を分けて考えるべき、という意見。

一番、多く寄せられた意見のひとつが、「怒る」と「叱る」を分けて考えたほうがいいという意見。

確かに、その意見は一理あると思います。

ただし、以下のツイートにも書いたとおり、「叱る」という行為が育成において一定の効果があるとしても、それが唯一無二の方法であるかどうかは、ちゃんと見定めたほうがいいなと僕は思っています。

山頂を目指すにしても、山道がひとつであるわけではない。

上記のツイートのお笑い芸人さんの話は、以前ラジオ番組「Session-22」の中で、荻上チキさんがとんねるずさんの「保毛尾田保毛男」の復活を受けて仰っていたことです。

参照:【音声配信】「当事者が痛いと言っているから、足を踏むな~”保毛尾田保毛男”問題に荻上チキがコメント」▼2017年9月29日(金)放送分(TBSラジオ「Session-22」)

僕はこの考え方がとっても大事だなと思っていまして。

それこそ、「一定の効果があるかどうか」と「唯一無二の手段なのか」を分けて考えないといけないと思います。

たとえば、山頂を目指すにしても、山道がひとつであるわけではありませんよね。

にも関わらず、「ここを登れば絶対に山頂にたどり着けるから!」という理由だけで、その山道を無理やり登らせようとするのは、良くないことだと思うのです。

最後に

同じように、今の若いひとたちが、従来のあり方に対して、明らかに「NO」を突きつけているのにも関わらず、「これには必ず効果がある!」と言って、嫌がる中でも無理強いすることはなんだか違うよなと。

同じ頂上を目指すにしても、別の山道があるのであれば、その山道だってひとつの候補であって欲しい。それこそが、多様な社会のあり方だと僕は思います。

仮にそれが多少の遠回りになったとしても、です。

以前も書きましたが、僕は圧倒的な結果よりも、悲しむひとがひとりでも減って、心から楽しむひとがひとりでも多く増えてくれたら嬉しい派です。

参照:きっかけや気づきを与えてくれたひとを、一番最初に巻き込みたい。 | 隠居系男子

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、何かしらの考えるきっかけになれば幸いです。

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