昨年末、糸井重里さんがつぶやいていたこのツイートについて、最近ずっと考えています。
「いいことをしているときは、悪いことをしていると思うくらいでちょうどいい」と、吉本隆明さんがよく言ってた。「いいことしている」の旗を掲げているような人のなかには、「いいことしているのだから、たいていのことを許せ」と思っている人がいるんだよな。
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) 2018年12月28日
うしろめたさがあるから、改善と工夫を続ける。
「悪いこと」とまでは言わなくても、何かうしろめたいことをしているという感覚があるからこそ、人や企業はそれをなんとか包み隠そうとするために、様々な改善や工夫を重ねることがあります。
詐欺師が必要以上に愛想が良かったりするのと同じ理論です。
悪意(知っているということ)や、うしろめたさがあるから、改善や工夫を怠らずに改善し続けるし、その原動力につながることがある。
環境負荷の少ないオーガニックの洗剤を使ってみて。
たとえば、洗剤。
最近、環境負荷少ないオーガニックの洗剤を使う機会がありまして。
成分が違うから、他の一般的な洗剤よりも値段が高いことは十分理解できます。
また、洗浄力が他の洗剤よりも劣ることも許容できる範囲です。
ただ、キレが悪く液垂れすることや、その性質を考慮していない容器の形状は、どうにか改善できたんじゃないかと素人目でも思ったんですよね。
他にも、詰め替え容器ひとつとっても、ドラッグストアに売っている安価な製品のほうがよっぽど使いやすかったりする。
「自分の中の正義」にあぐらをかかないこと。
その良し悪しは抜きにして、まずこの事実を認識したいなと。
そして、冒頭にも紹介したように、だからこそ「良いことしているときほど、悪いことをしている」と思ったほうが良いなと。
それが今日のタイトルにも書いたような「うしろめたさの効用」だなと思ったのです。
うしろめたさを極力排除していくことは、この時代にものすごく大切なことだと思います。
しかし、その「自分の中の正義」にあぐらをかかないことも、同時にものすごく大切なことだなと思ったんです。
そして、それは製品だけにとどまらず、言論や表現など、何事においても同じことだなと。
どれだけ“いいこと”だとしても、それが圧倒的にうしろめたいことと同じであると自分の中で認識した上で、常に工夫と改善を忘れず、アップデートしていきたい。
最後に
意識しなければ、すぐに忘れてしまいそうなことだなと思ったので、今日のブログにも書き残しておきました。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になったら幸いです。