今朝、とっても嬉しいツイートを発見しました。
「自分の正義にあぐらをかかないこと。うしろめたさがあるから改善と工夫を続ける。」
鳥居さんのブログって抽象度高くて毎回ヒントをもらえる。
いいことの中にも常に疑いの余地があって最高のサービスになると思った。— ebihara kazuki (@EbiharaKazuki) 2019年2月6日
僕がブログを書くときは、イベントに足を運んでくれたお客さんの具体的な質問や、知人・友人の相談内容がきっかけになっていることが多いです。
そこに個人的な気づきや発見を織り交ぜながら、なるべく多くのひとが理解しやすいように、抽象的な話に昇華させて書くようにしています。
なぜ、そんなことをしているのか?
じゃあ、なぜそんなことをしているのか?
もちろん、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても少しでも参考になるものを書きたいという想いがまずあります。
でも一番大きな理由は、僕が尊敬するひとや相互理解に長けているひとは、頭の中で常にこれをやっているなって気づいたんです。
目の前の具体的な事象から、問題点や学びになる部分だけを抽出する能力が非常に高くて、常にそれを実行している。
ちょっとわかりにくい例えかもしれませんが、具体的な事象が「固形の鰹節」だとしたら、そこから“出汁”を取るのがめちゃくちゃうまいんですよね。
ちゃんと薄く削って、煮出してろ過し、そこから出汁だけを抽出できている。
だからこそ、どんな料理にも対応できるのだろうなあと。
鰹節も「固形の鰹節」のままだったら、ただの鈍器。
思うに、具体的な話を具体的なまま議論しようとするから、人格批判にも繋がるし、炎上という現象にも繋がっていくのだと思います。
鰹節だって、もし固形の鰹節のままだったら、ただの鈍器ですからね。人を殴るための道具としてしか使えない。
一度抽象化して出汁にすることによって、そこから当事者性が排除されて、“みんなの問い”になっていく。
だからこそ、常に大切なことは「そこから学べることは何なのか?」ってことなんです。
最後に
この具体から抽象化の過程がものすごく上手なのが、F太さん。
しかもF太さんのすごいところは、抽象化するにとどまらず、読み手の方々が自分の具体的な事象に落とし込見やすいように、加工することができる。
先述の出汁の例に例えると、鰹節から出汁をとり、さらにその出汁をみんなが日常的に使いやすいように、顆粒出汁に加工してくれるのが、F太さんだと思います。
今日のお話に興味をもってくださった方は、ぜひF太さんの日々の発信に目を向けてみてください。きっと参考になる点が多いと思いますよ!
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