昨日、こんなツイートをしてみました。
フォロワーを増やしたいわけではない。でも、ファンを増やしたいわけでもない。じゃあどんなひとを増やしたいのかと言えば「視座が共有できているひと」を増やしたいのかもしれない。それは価値観が近いという感覚ともまた違って「それおもしろいじゃん…!」と言い合いながら一緒に盛り上がれるひと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月20日
あと、これは30年間生きてきてやっと気づいたことなんだけど、フォロワーやファンがどれだけ増えたとしても、「視座を共有できているひと」が自分のまわりにいないと、本当にやりたいことは実現できないんですよね。むしろ「なんでわかってくれないんだ…!」ってドンドン孤独になっていくはずで。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月20日
きっとそれは才能あるソロアーティストがどんどん孤独になっていくことにも似ていて。でも視座を共有できるバンドメンバーが現れたら水を得た魚のように元気になるじゃないですか。だから自分を認知している大衆や、自分のことを追っかけてくれるファンよりも、信頼できるバンドメンバーを増やしたい。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年2月20日
信頼できるバンドメンバーのような人たちと出会うためには?
じゃあどうすれば、そんな信頼できるバンドメンバーのような人たちと出会うことができるのか?
僕の暫定解は、「自分自身に対して嘘のない表現をし続けること」です。
「自分の中で後ろめたくない表現」と言い換えてみてもいいかもしれません。
そうやって日々表現していく中で、徐々に徐々にその表現の中に見え隠れする視座に共感してくれるひとたちが集まってきてくれるようになる。
逆に、「あなたたちの欲しいものはコレでしょ…?」と、ある種のファンサービスのような形で他者軸に沿って表現をしてしまうと、どんどんドツボにはまっていってしまうのかなと。
結果的にファンも満足させることができる。
「でもそうすると、ファンを蔑ろにすることになるのでは…?」と優しい方は不安に思うかも知れません。
でもそれは逆で、むしろ結果的にファンの方々やフォロワーさんたちを大切にすることにもつながると思うんです。
自分が誰かのファンだった時のことを想像してみてください。
やっぱり、その人がその人らしく振る舞えて健やかな状態であること、それを観るのが何よりもファン心理として嬉しかったのではないでしょうか。
「頑張ってね!」と、素直に応援したくなる。
自分にとっても、他者にとっても健やかであり続けるためには、そういう好循環をつくっていくことが何よりも重要なんだろうなあと思います。
最後に
嘘のない表現を探り続けて、毎日淡々と発信し続けること。
僕にとってはこのブログなんかが、まさにその場所です。
あなたにとってのその場所はどこでしょう?今日のブログを読んでくれたことで、そんなことを考えるきっかけとなっていたら幸いです。