昨日、こんなツイートをしました。
最近ライブ配信を始めてから、ワイヤレスの時代に逆行して、めちゃくちゃケーブル捌いているんだけど、ベンチャー初期の泥臭さというか独特な盛り上がりがあって、ケーブルを巻くのさえ楽しくなってきた。こんな風に、煩わしささえ愛おしく思える時は、うまくいく証拠だと信じて引き続き楽しみまくる。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年5月22日
まだ人生経験は浅いですが、こうなってくるとうまくいくことが多い気がしています。
なぜなら、きっと楽しさゆえに「辞めなくなる」からなんでしょうね。
辞めなければ、遅かれ早かれ必ず成功します。
「よくそんな面倒くさいことやってるね」と言われたら「しめた…!」と思いたい。
いま思えば、このブログを書きはじめたときも、「灯台もと暮らし」を立ち上げたときも、よくもまあこんなに面倒くさいことを始めてしまったなと、我ながら呆れてしまうタイミングがありました。
でもその時も、目の前の煩わしさが煩わしいとは全く思わず、なんだかとっても愛おしく思えたんですよね。
だから、自分は割と楽しんで作業していました。
でも、まわりから
「よくそんな面倒くさいことやってるね。」
「よくそんな非効率なことできるね。」
とか、当時も言われていたような気がします。
だから、もしまわりからそんな風に言われときは「しめた…!」と思ったほうがいいんだろうなあと。
それを越えた先に、唯一無二の世界が広がっている。
もちろん、テクノロジーの進化に逆行する必要はないですし、生産性を高めていく工夫は常に考え続けて心がけていくべきです。
ただ、全員が効率化・合理化を目指す先には過当競争の世界しか待っていない。
奪われては取り返し、また奪われては取り返し、その繰り返し。
そうではなく、自分にとっては愛おしいと思える煩わしさ、それを超えた先に自分だけの唯一無二の世界が広がっているんだと思います。
最後に
いつもこのブログを読んでくださっているみなさんも、「愛おしいと思える煩わしさ」がいま目の前にあるのであれば、ぜひそれを大切にしてみてください。
その先にきっと、他の誰にも再現できない自分だけの世界が広がっているはずです。