どうも鳥井(@hirofumi21)です。
昨日の記事を書き終えた後、Twitterなどを通して賛同するコメントを幾つも頂きました。大変嬉しい限りです!本当にありがとうございます。
…ただ!正直、昨日の記事を書いた張本人でさえも、昨日の記事はかなり偏った意見だったと思っています。
よく言われることですが、SNSというのは諸刃の剣です。「自分に取って都合の良い空間として発展していくのがSNSだ」と。
だからこそ僕は、自分の意見から真っ向から対立する意見も大切にしたいと思っています。「どちらの立場に立ったとしても、反駁し議論できるぐらいの気持ちの余裕を持たないといけない」と。
今日はそんなことについて少し書いてみようと思います。
Twitterに寄せられたコメント
昨日書いた記事は、以下の記事。
そして寄せられたコメントの一部がこちら。
高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。 http://t.co/6jN3x63GNf @hirofumi21から
全く同感です。同じ風景でも写真でみるのと、実際にそこに行き、五感で感じながら見るのとでは、得られる情報量と質は違ってくる。
— アシタカ (@naushikaitoko) 2014, 2月 25
人に会うのは大きい。すんごい影響を受ける。それこそ六感から感じる雰囲気とか、決して画面からじゃ伝わらないものを感じることができる。旅も同じ。
高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。 http://t.co/qMQX4cdu3K @hirofumi21さんから
— うるふぁ (@urupha) 2014, 2月 25
目に見える情報が氾濫する時代だからこそ、ますます"実体験"を求める。会った人や行った場所の記憶に伴う目には見えない大切なものが、人を生かす力になるのかもしれない。/高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。 http://t.co/gBbC9hR9GQ @hirofumi21から
— 喜屋武悠生 (@cancan815) 2014, 2月 25
高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。 http://t.co/ubDz3MrIGy @hirofumi21さんから 直接会う/行くことは強烈な経験になる。でも、実体験に際して何をどれだけ吸収できるかは、その体験以前にどれだけ知識を体系的に溜め込めているかが重要だとも思う
— Yusuke Tochigi (@skyberry1223) 2014, 2月 25
味覚や栄養素との関連付と例え、正解だと思ったし情報も一つの科学として捉えれるなーと思った面白かった 高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。 http://t.co/eWlNSDRYPj @hirofumi21さんから
— Yohei Koga (@KYhei) 2014, 2月 25
皆さん、ちゃんと読んでくれているということがしっかりと伝わってきて、本当に素晴らしいコメントばかりでとても嬉しいです。
この他にもコメント頂きましたが、Twitterでコメント頂いた方々の中には、誰一人として否定的な意見を述べてくるような方はいませんでした。
偏った意見ほど、人を引き寄せる。
この寄せられたコメントを読んで、「SNSは自分に都合のいい環境を作り出してしまう空間なんだ」と改めて思い知らされました。これで天狗になることが一番危険なのだと。
もちろん、昨日の記事含め、このブログで書いてきたことは全て、自分が全力で正しいと思っていることだけを書いてきたつもりです。
しかし、それが賛同されたからといって、これが世間の全てではない。むしろかなり偏りのある空間であると常に自覚するべきなんだと思います。
SNSというのは、良くも悪くも「偏ったことを偏った語り口で書けば書くほど、人が集まってくる」という特性があります。
そんな場所で発言し続けていると、どうしても他者の意見を忘れがちになってしまうのです。自戒を込めて本当にそう思います。
福沢諭吉の言葉
そんな時、ふと思い出したのが福沢諭吉の以下の言葉。
「ことに私は朋友と本気になって争ったことがない。たとい議論をすればとて、面白い議論のみをして、たとえば赤穂義士の問題が出て、義士は果たして義士なるか不義士なるかの議論が始まる。
すると私はどちらでもよろしい、義不義、口の先で自由自在、君が義士と言えば、僕は不義士にする。
君が不義士と言えば僕は義士にしてみせよう、サア来い、幾度来ても苦しくないといって、敵になり、味方になり、散々論じて勝ったり負けたりするのが面白いというくらいな、毒のない議論は毎度大声でやっていたが、ほんとうに顔を赤らめて、どうあっても是非をわかってしまわなければならぬという実のいった議論をした事は決してない」
引用元:福沢諭吉先生のキーワード
分かりやすくまとめると、「ディベートをする時、自分はどちらの側でも立つことが出来る!そして、たとえどちら側に立ったとしても、自分はその議論に勝ってみせる!」という話です。
僕は高校の現代文の授業の時にこの話を教わりました。当時は「なぜ自分の信じる信念と逆の主張をする必要があるのだろうか?それこそカッコ悪いことだ!」と幼いながらに思っていたのです。
しかし、学生時代に法律を学んだ時も口酸っぱく同様のことを教わり、法律という概念を学んでいく上で、「何となくそうなのかもしれない。」と思い始めました。
そして今日、改めてこの言葉の意味するところを理解できたような気がします。
SNSは諸刃の剣
SNS上では、超有名人でない限り、反対意見を持つ方々からフォローさるということはあり得ません。
一般人の場合は、どう頑張っても、自分の意見に賛同してくれるような方々からしかフォローされないのが現実です。
そんな中、ある程度フォロワー数がいて、批判的な意見が飛んでこなければ、自分の発言が正しいものであると勘違いしてしまうことは本当に容易いことです。
たとえ、稀に批判的なコメントが飛んできたとしても、それは結局ヤジのようなネガコメでしかなく、自分のために論理だって批判してくれる人なんて誰もいません。それがSNSという空間なんです。
だからこそ僕は、SNSは諸刃の剣だと思うわけです。
最後に
強い信念持って書き続ければ書き続けるほど、自分にとって最高の仲間が集まってきます。
しかし、それは裏を返せば、自分にとって都合のいい人たちの集まりでしかないともいえるわけです。この危険性を意識しながらSNSを使えるかどうか。
「日本の大企業に入って一生安泰、家と車もローンで買って、日本どころか、東京からも一生出たくない!」
このブログに関して言えば、こんな立場にたったとしても、その正当性を述べられるように常日頃考え続けなければいけないわけです。
このブログを読んでくださっている方の中には「そんな馬鹿げた事をやって何になるんだ!」と思う方もいるかもしれません。
しかし、真逆の立場にも立って物事を考えてみると、思いのほかその過程で得られる発見というのも沢山あって、実に素晴らしい学びの場となったりもします。
このへんの考え方については、ライフネット生命副社長の岩瀬大輔さんが、詳しく説明して下さっているので、もっと詳しく知りたいという方は彼の本もぜひ読んでみてください。
なにはともあれ、「SNSは諸刃の剣。常に自分の意見に反駁できるぐらいの心の余裕を持つことが大切だ」ということを僕らは肝に銘じるべきなのだと。
今回の話が、皆さんの何かしらの気付きにも繋がれば幸いです。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!