どうも鳥井(@hirofumi21)です。
いやいやいや…ここに書かれていることは重々承知の上で作っていたに決まってて、その上で何かを表現しようとしたら、早々に潰されたってことでしょ?ルミネの中の人、早くネタばらししてください。:ルミネをこじらせて――「ありのままで」からの逆走 http://t.co/7mKqeXy0rk
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2015, 3月 23
今回のルミネの一件ですが、女性というテーマを日々扱っている製作陣側が、今回フリーライターやブロガーが至るところで指摘していることを理解していなかったわけがありません。いや絶対に理解していたはずです。
ただ今回の一件は、以下の記事に書かれているように「想像力の欠如」の問題だったのでしょう。
今回の動画について言及した人と、静観した人。
たとえルミネ側に落ち度があったとしても、その一瞬の隙を狙って血祭りにあげる風潮は、僕はどうかと思います。
今回ルミネが炎上したことによって、結局得をしたのは時事ネタを切って収益をあげているフリーライターや、炎上ネタを主としているメディアだけ。
そして、もちろん騒いだ方々も良くないと思うけれど、それを焚きつけて拡散していった著名人達も同じくらいタチの悪い行為だったと僕は思っています。
「自分はそうは思わないけど…」「連続企画の中で、良い表現をしたかったのかもしれないけれど…」と前置きを書いて、あたかも正論じみた風に語りつつも、絶対にどこかで炎上させてやりたいと思っていた人もいたはずです。
ある程度影響力を持ってしまうと、良かれ悪かれ自分の思う方向に先導したくなってしまうのは当然ですからね。それが人間です。
だからこそ、ちきりんさんがいつも言っているように、「誰かが叩き始めたら、絶対に自分は叩かない」っていうのは徹底した方が良いと思いますし、今回もそれを実践していた著名人もいたように思います。
参照:ちきりん著「多眼思考」から厳選したつぶやき20選。 | 隠居系男子
今回のネタを言及してもおかしくないのに、黙って静観していた著名人の方を、むしろNAVERまとめとかでまとめて欲しいぐらいです。
何かに対して声を上げるのと同じぐらい、何かに対して静観し続けているというのも、とても尊い行為だと僕は思います。
有名な企業ほど、表現の幅が狭くなってしまう時代。
さて、とは言いながらも、やはり今の時代にルミネのような大企業が今回のような表現をしてしまったら、炎上してしまうのも仕方のないことだと思います。
少しでも隙を見せれば、誰かしらが必ず拡散していくのが今の世の常。
わたしは広告が好きだから、こういうかたちで「最後まで見せてもらえなかった表現」ができてしまったのは、すごく悲しいよ。とはいえ企業活動だから、経営サイドが見合わないと判断して取り下げるのは、仕方がないとも思う。ネタばらし、してほしいけど、してもらえるかなあ。
— はせ おやさい (@hase0831) 2015, 3月 23
そして、上記のツイートではせおやさいさんが言うように、経営判断だから「すぐに取り下げる必要がある」と決断されてしまうのも仕方ない。
そう考えると、有名な企業ほど今は息苦しい時代なのでしょうね。「あのルミネが…!?こんな広告を…!?」ってすぐに拡散していってしまうのですから。
もし、一個人や小さなプロジェクト集団が作っていたら…?
さて、仮に今回と同じ動画を一個人や小さなプロジェクト集団が作っていたとしたら、どうなっていたんでしょう?
もしかしたら同じように炎上していたかもしれません。でもその規模は、今回のものに比べてかなり小さいものだったはずだと思います。
「あーぁ、なんかバカなことやっちゃってるよ…」と見過ごされて終わった話。こういったネタを叩きたくてたまらない人たちには、きっと見向きもされないでしょうね。”叩きがい”がないですから。
あとは自己責任の問題です。表現物に本当に自信があり、腹さえくくっていれば、しっかりとすべての動画を公開させることができたでしょう。
つまり、一個人や小さなプロジェクト集団であれば、今回のような表現は完結させることができたはずだということです。
最後に
そう考えてくると、もしかしたらここチャンスは眠っているのかもしれません。
インターネットは何度も言ってきたように「個人のためのもの、ハイアマチュアのためのもの」です。
たった一人の素人の発言が世界情勢さえも変えるかもしれない力を持っているということ。それは以下の記事で蒼井そらさんが日中友好のために尽力したという話からもわかることです。
参照:反日デモ最大級のあの日、僕は北京日本大使館の前にいた。 | 隠居系男子
きっと今の時代は素人の方が圧倒的に表現の幅は広いのでしょう。そして、本当に響くものを作ることさえができれば、知名度や拡散力に関係なく広く行き届かせることができるのが今のインターネットの仕組みです。
メインストリームに入り込んでいけばいくほど、表現の幅は狭くなる一方で、お金や知名度がなくとも小回りのきくカタチで小さく活動している方が、自由に表現できるわけです。
参照:お金も人脈もないからこそ、良いコンテンツを作ることができる。 | 隠居系男子
それがいつも僕が言う、「ネットにおけるゲリラ戦の可能性」の意味でもあります。
参照:一次コンテンツにこだわりがあるウェブメディア4選。 | 隠居系男子
こんな環境が整っている中で、僕らは何を表現していくべきなのか?
そんなことを考える今日このごろです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。