どうも鳥井(@hirofumi21)です。
最近、過去記事をシェアしてもらえることが増えてきました。ブログを書いている人であれば共感してくれる人が多いと思うのですが、これってバズとはまた違った喜びがあるんですよね。
そんな記事を1本でも多く書いていきたい。
ずっと耕してきたものが、徐々に実りを生み出してきている喜びに近いのかもしれません。
たとえ頭の片隅であったとしても、読者の方に“あの記事”ってずっと覚えてもらえていて、ふとしたタイミングで読み返し、更にそれをシェアまでしてもらえる。
ブログ自体が何百万PVっていう数字にならなくても、そんな読者の方々がいてくれているってだけで僕は心底嬉しいですし、僕自身が読者の方々のそんな何気ない行動に日々支えられています。
だからこそ、そんな記事を1本でも多く書いていきたいと強く思います。
「回答はあっても解答はありません」
そのためには、きっと具体的に役立つノウハウとかじゃないのだろうなぁともいます。知識じゃなくて、知恵の部分。それを淡々と書いていくことが遠回りのようで、結局一番印象に残る方法だと思っています。
この前見た村上春樹の『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』という書籍の帯に「回答はあっても解答はありません」と書いてありました。
僕がこのブログで書けることも、まさに“解答”ではなく“回答”まで。でもそんな回答であっても、読んでいてハッとする人はきっといるはずでしょうし、そんな人に向けて僕は全身全霊で書きたいと思っています。
お金に繋がるような行動ではないけれど…。
読み返してくれる読者の方はきっと、「現状自分がやっている活動や、これから始めようとしている自分の活動に役立つことが書いてあったかもしれない!」とふと思い出して、読み返しにきてくれているのだと思います。
でも残念ながら、その行動は僕にとって直接収入に繋がるような行動ではありません。今困っている目の前の課題を直接解決することに繋がるわけでもないので、この記事に何かのアフィリエイトのリンクが張れるわけでもないですし、その1PVの広告収益っていうのもたかが知れています。
もしかしたらこれから先、「なめらかな社会とその敵」という書籍に書かれているような伝播投資貨幣「PCISY」みたいな仕組みができあがるかもしれないけれど、ここ5年や10年でどうにかなる話でもないはずです。
最後に
しかし、それでもこの感覚を大切にしていきたいと思っています。
金銭以上の対価を得られているような漠然とした感覚は間違いなくありますし、今後さらに耕していけば、全く思いもよらなかったところで何かに繋がる可能性だってあるわけです。
そして、そんな文章を書いていきたい人は僕以外にもいて、そんな文章を読みたいという人も一定数いて、「隠居系男子」は、そんな書き手と読み手が繋がるような雑誌形式の媒体にしていきたいのかもしれません。
参照:「隠居系男子」を雑誌(形式のもの)にしたいというお話。 | 隠居系男子
そんなことを漠然と考える今日このごろです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。