オープンな場では「文明」を、クローズドな場では「文化」を語ること。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、オープンな場で語るべきことと、クローズドな場で語るべきことの違いについてずっと考えていました。そして、やっと自分の中で答えらしいものを見つけることができました。

今日はそんなお話です。

「文明」と「文化」の違いとは?

まずは文明と文化の違い、そのおさらいからです。

詳しくは、以前「『好き嫌い』と経営」という本の書評記事として書いた良し悪しは「文明」好き嫌いは「文化」 という記事の引用部分を読んで欲しいのですが、その違いの部分を少しだけここにも引用しておきます。

国や社会によって例外はありますが、この100年ほど「人を人種や宗教によって差別してはいけない」というのは、わりと普遍的な価値観になっている。僕らが「文明」と呼んでいるのはこうしたことですね。

さらにローカルなほうへと寄せていくと「文化」になる。文化というのは基本的に好き嫌いの問題だと僕は捉えています。例によって司馬遼太郎がうまいことを言っているのですが、「文化というのは一定範囲の人々の間で受け入れられているもので、そのなかにいる人にとっては心地いいもの」。文化は本来的にローカルなもので、範囲があります。その範囲のなかでは良し悪しなのですが、境界を越えて外に出てしまうと良し悪しとしては通用しない。

引用元:良し悪しは「文明」好き嫌いは「文化」 | 隠居系男子

オープンな場で「文化」を語るときは、誠実な文章を心がける。

オープンな場で正直に語ることは大切です。

ただし、そこでさらに「誠実」であるためには、しっかりと「文明」の話なのか「文化」の話なのかを、読者にとってわかりやすい形で切り分けることでしょう。

私は今「文化」について語っていて、これは私の「好き嫌い」の問題なのだ、ということをしっかりと明示すること。

それでも誤読が生まれて炎上してしまいそうな場合は、極力オープンな場では書かないこと。それが誠実な文章の在り方だと僕は思います。

一方でクローズドな場面では、堂々と自分の信じる「文化」を語りましょう。自分たちが信じる文化を共有し合うことで生まれてくる結束感があるからです。

だからこそ僕は、オープンな場(ブログ・SNS)では自分の信じる「文明」について語り、クローズドな場(リアル・有料コンテンツ・オンラインサロン)では自分の信じる「文化」について語ることが最良の手段だと思います。

これに合わせて、適切な距離感を探っていくのが一番ベストな方法だと思います。

参照:有料課金モデルで高めるべきは、コンテンツの「クオリティ」ではなく受け手側との「距離感」。 | 隠居系男子

逃げ道を作りながら、ネット上で炎上させる方法。

さて、ここまで読んできた勘の鋭い方は、もうお気づきかもしれません。

もしネットで物議を醸し出したければ「文明」を語っているように見せかけて、「文化」を語ることが一番有効であるということに。

ちゃんと読解力のある人が読めば、この人は今「好き嫌い」の問題について語っているんだなとわかるように見せかけておきつつ、読者のリテラシー如何によっては「良し悪し」の問題にも思えるようにも見せかけておき、ここをできるかぎり曖昧にする。

そうすることで、自分の逃げ道を作りながら、炎上させることができます。

「あくまで自分は『好き嫌い』の問題を語っただけなのに、なぜこの人達は『良し悪し』の問題にすり替えて、批判してくるんだ?」と、シレッとした顔で言うことができます。

つまり、ネット上で物議を醸し出すのが上手い人は、わざと「文化」の問題を「文明」のように語り、「好き嫌い」の問題を「良し悪し」の問題のように語ることに長けているわけです。

上述した方法を実践するかしないかはあなた次第ですが、意図的に炎上させるという行為は、やはりみっともない行為だと思うので、僕は絶対にオススメしません。

最後に

繰り返しになりますが、僕はオープンな場では自分の信じる「文明」を語り、クローズドな場では自分の信じる「文化」を語ることが最良の手段であると思います。

そして、もしオープンな場で自分の信じる「文化」について語るときは、誤解のないように、できるかぎり誠実な文章を心がけるべきなのでしょう。

この記事を読んでくださった皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。

それでは今日はこの辺で。

ではではー!

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