どうも鳥井(@hirofumi21)です。
他人からすれば、「は?何いってんの?」って思うことかもしれませんが、自分の中では長年考えてきたことの一つの解がみえてきた感覚です。
点と点が線で繋がった瞬間だったので、備忘録的にブログにも書き残しておきたいと思います。
「健康で文化的な生活」さえ送っていれば、自然とうまくいく。
なぜ「健康で文化的な最低限度の生活」が大切なのか昔からずっと考えていて、最近やっとわかったのは、健康で文化的な最低限度の生活さえしていれば、あとは各々が自分の信じることを実行するだけで、自然とうまくいくからなんですよね。健康で文化的な生活の大切さは、まさにそこにあるのだ思います。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年5月12日
このバランスが崩れてしまうと、人間は途端にうまくいかなくなるし、空回りしてしまう…。だからこそ、人間が人間らしく社会の発展に寄与するためには、健康で文化的な最低限度の生活を各人が送る必要があるし、社会はその権利を互いに認め合う必要があるのだと思う。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年5月12日
で、より多くの人が未来に向かって健康で文化的な生活を送るためにはどうすればいいのか?そもそも健康とは何か?文化的とは何か?それを根本から考えることが「これからの暮らしを考える」の言い換えであり、重要なテーマなのだろうなと、今朝ふと気が付きました。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年5月12日
最後に
一点誤解して欲しくないのは、ここで言及しているのは生存権の話ではないということです。
もっと広く捉えて、「健康で文化的な生活」という概念そのものの話。なぜ「健康で文化的な生活」という言葉が生まれてきたのか、そういったことをもっと根本的なところから考えてみたいのだと思います。
結構大きなテーマの扉が、自分の中で開いたような感覚。
なにはともあれこれからは、心身の健康と文化的であることが、大きな関心軸になっていきそうです。
それでは今日はこの辺で。
ではではー!