どうも鳥井(@hirofumi21)です。
昨日のブログを書いたあと、一級建築士のタナカユウキさんが「けんちく目線」でとてもわかりやすい解説をしてくれました。
詳しくは昨日のブログを御覧ください。
それを受けて、僕が思ったことが以下のツイート。
建築でわからないことがあったらタナカさん、発酵でわからないことがあったらヒラクさんなど、専門家の友だちが増えてくると、わからないことはすぐ聞けたり、彼らが執筆しているコラムなどを頻繁に読むようになるので、自然とその分野の知識が身について、本当に良いこと尽くめです。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年8月25日
ということで、持つべきものは専門家の友だちだなあと、本当に最近よく思います。一方で、与えられてばかりだと自分が恐縮してしまうので、そういった専門家の友人たちに重宝がられるようなメディア人になろうとも強く思います。頑張らねばですね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年8月25日
今日はこの一連の流れを受けて、自分の中で考えたことについて少し書き残しておきたいと思います。
目線を与えてくれる人がおもしろい!
思うに、今おもしろいのは、目線を与えてくれる人だと思います。
それこそ、「けんちく目線」を与えてくれるタナカユウキさんや、「発酵」をわかりやすく理解するための目線を与えてくれる小倉ヒラクさんのような人。
過去に持て囃された「歩く百科事典」と呼ばれるような人たちは、今あまり求められてはいないのだと思います。
それはもう、手元にあるスマホで十分です。膨大な知識をひけらかす人は必要ありません。
「目線を与える」とはどういう意味なのか?
じゃあ具体的に「目線を与える」とはどういう意味なのか?
それはきっと、一時期前から流行り始めた「キュレーション」とは似て非なるものだと思います。
「キュレーション」というのは、受け手の目の前に提示されるもの(置かれるもの)を変えていく作業です。
キュレーターの視座から選び抜かれたものを、受け手の目の前に、それこそ手を変え品を変え、様々な手法・パターンで提示するということです。
でも、「目線を与える」は、そうじゃない。
受け手側の目の前に提示するものを変えるのではなく、受け手側の目線そのものを変えてしまおうということです。
対象物は今までと変わらず、日常の中に潜むもの。同じものを眺めているにも関わらず「こんな目線や角度から見るともっと楽しいし、世界が変わって見えるよ!」っていう、受け手側の姿勢の矯正であり、その提案自体が「目線を与える」ということです。
人々の「青い鳥探し」のような知的好奇心に付け込まない。
人々の「よりおもしろいものはないのか?」という、青い鳥探しのよう知的好奇心に付け込むわけではなく、いま目の前に広がるもの、それをこんな目線で見ればおもしろいですよ!っていう提案に終始するのが「目線を与える」ということです。
僕はそんな人達が、これからドンドンと求められていくようになると思います。
そして、これもある意味で「ブリコラージュ的な発想」に近いのかもしれません。
参照:ボトムアップ型のDIYでつくりだす。なぜブリコラージュ的な発想が、いま重要になってきているのか? | 隠居系男子
最後に
メディアを運営する身として、「キュレーション」をメディア化させていくのではなく、目線を変えることの楽しさを知っている読者を集めながら、実際に目線を与えられる専門家の知見が載っている、そんなメディアを作れたら楽しいだろうなと思います。
更に、「EVERY DENIM」と一緒に運営しているオンラインサロンのようなやり方で、サロンメンバーの方々の目線を変えつつ、その新しい目線に適うものを一緒にゼロから作ってみる、そんな提案もしていきたいです。
参照:Synapse(シナプス) – 僕らの理想のデニムってなんだろう?
「ここではない、どこか」ではなく「いま、ここ」を楽しむための方法を提案できるメディアでありたいものですね。
それでは今日はこの辺で。
ではではー!