先日、佐藤尚之さん著『ファンベース (ちくま新書)』を読みまして。
評判どおり、とってもおもしろい本でした。
「ファンコミュニティ」における学びが非常に多く、このブログをいつも読んでくださっている方にはきっと楽しんでもらえるかと思います。
「ファンは実は自信がない」
特に印象的だったのは、「ファンは実は自信がない」というお話。
さっそく少し引用してみます。
ファンは実は自信がない
この項目は意外と盲点であり、見過ごされていることが多い。ファンであることに自信を持ってもらう施策である。
何のこと?って思われるかもしれない。でも、ファンって意外と不安に苛まれているのである。「この商品が好きな自分ってイケテルのか」「この商品のファンって言って笑われないか」「この商品を友人に薦めても大丈夫か」など、意外と自信がないのである。
自分の価値観や選択眼に自信がある人はごくごく一部で、みんなそんなには自信はない。特に日本人は自分に自信がない。
従来、ファンがファンであることに自信を持ってもらうための施策って「メディアの権威性を利用すること」だったと思うんですよ。
「あのテレビ番組で特集されていたから」や「あの雑誌で特集されていたから」ということを後ろ支えに、「ファンと公言しても恥ずかしくない」と思ってもらえる状況を広告で作り出していた。
でも、今はそれがSNSを中心とした口コミに変わりつつあります。
しかも、信頼しているあの人からの口コミ。
だから、インフルエンサー・マーケティングみたいなものが主流になってきているんだと思います。
でも、やっぱりそれも意図的に仕掛けてしまえば、すぐにバレてしまうんですよね。
「中の人が本当に想いを持って活動しているのか」どうかは、一瞬で見抜けてしまうから。
だから結局、中の人の「美意識」に最終的には行き着いてしまうのだと思います。
人が誰かのファンであることを公言するのは、その美意識に惚れたとき。
以前こんな記事を書きました。
購入する決め手が「美意識」に変化する中で、人の美意識はどのようにすれば育まれるのか? | 隠居系男子
何のため生産背景にこだわる必要があるのか?
何のためにコミュニティを形成する必要があるのか?
それは、自分自身が自分の商品(コンテンツ)に自信を持ち「私がいま『最高だ!』」と思っているモノに、これだけの賛同者がいてくれるから、大丈夫」と思えるためにだと。
人が誰かのファンであることを公言する時って、きっとその「美意識」に惚れ込んだときだと思うんですよ。
そして、その時のポイントって「いかに楽しそうか」や「いかに覚悟が定まっているか」が重要になる。
少なくとも僕はそうです。
自分でも最近気がついたんだけど、ラキブラも、EVERYDENIMも、dripも、みんな男子ふたり組。ビジネスの枠を越えて、仲良く楽しそうにやっている男子ふたり組のスタートアップを見つけると、無性に応援したくなる体質みたいです。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年3月13日
逆に女性の場合は、群れているよりもジブリのヒロインみたいに孤高感のあるタイプで「私が世界を救わなきゃ」と謎に大きな宿命を背負っている感じの女性をなぜか応援したくなります。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年3月13日
なんだか「楽しそう」だから自分もその仲間に加わりたくて、ファンって公言したい。
なんだか「覚悟が定まっている」から自分もその世界観に加わりたくて、ファンって公言したい。
そうやって少しずつファンだと公言するひとたちが増えてきて、そのファンの公言がまた新しいファンを呼んでくるんだと思います。
最後に
ファンの方々に正々堂々とファンだと公言してもらうために、やはり自分たちのやってることにしっかりと自信を持てる生産背景やその過程をつくりあげないといけないなと改めて思いました。
いつもこのブログを読んでくださっている方々の何かしらの参考になれば幸いです。