『日本的想像力と「新しい人間性」のゆくえ』が新しくて面白い!

日本的想像力と 「新しい人間性」のゆくえ (PLANETS SELECTION for Kindle)

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

先日、電子書籍『日本的想像力と「新しい人間性」のゆくえ (PLANETS SELECTION for Kindle)』を読みました。

猪子寿之さん,井上明人さん、濱野智史さん、宇野常寛さんが『PLANETS』という雑誌で対談していた部分だけを切り抜いて販売されているものです。これがかなり面白かった!

書籍ではなく雑誌のコンテンツなので、15分ぐらいで一気にザーッと読んでしまえます。ネットの記事よりはボリュームがあり、ちょっとした読み物として丁度いい分量。このやり方、新しくて値段的にお手頃なので、今後も注目していきたいと思います。

今日はこの対談の中から自分が「おっ!」と思った部分をいくつかご紹介。

非言語=知的レベルが低いということではない

この対談が面白いのは、何と言っても猪子さんが混ざっているところでしょう。三人の若手批評家・思想家が抽象論として小難しく語りがちな中で、猪子さんが良い感じでツッコミを入れてわかりやすい議論に落としこんでくれています。

例えば、最近のネット言論は「www」というような非言語で、動物でも出来るような双方向性のコミュニケーションが主流になっている、という話が続いた時の猪子さんの反応が以下です。

猪子 なんでさ、批評とか思想まわりの人ってそういうことを「無意識」とか「動物的」っていう言葉で言うの?だってさ、人間は超意図的に検索しているわけじゃん。言葉でしゃべるより検索する方が強い意思があるはずだよ。だって言葉よりも行為のほうが強い意思があるし、消費カロリーは大きいじゃん。

中略

猪子 ファッションも同じようにいまは文脈非依存に向かっているんですよ。パリコレがあってトレンドがある、みたいな文脈依存ではなく、もっと生物としてどちらが美しくみえるかを目指している。これはこれでハイレベルなセンスが必要だし、文化レベルが下がっているとか、知的レベルが低くなっているという話じゃないと思う。

中略

猪子 わかった。言葉の領域とか論理的な領域というのは、知的領域の中で最も低水準なものにもかかわらず、みんなそれを最も高度だと言い、それ以外のことを低俗だと扱っている事自体がまったくおかしいと思う。
たとえば、人間がつまずいて転びかけた時に、何かものがあればつかんで転ばないようにするし、受け身もとる。それって、すごい量の情報を人間は過去の経験とか含めて処理していて、コンピューターには全然真似ができない。知的レベルははるかに高度だと思うけど。

という感じです。どうですか、良いツッコミですよね?笑

そして、この指摘はすごく面白いと思います。もちろんこれに対する反論もあると思いますが、自分も間違いなく、人間の直感や身体的な能力の方が重要で高度だと思っています。

そうでなければ、人間と同様の動きや直感性をもったロボットや人工知能だって、既に出てきていいはずなのに、それすらまだつくることができていない。何万桁っていう計算は一瞬で出来て、将棋やチェスなど戦略上のゲームで人間に勝つことは出来るのにですよ…?

人間はどうしても他人が出来ないこと、それに希少価値を置いてしまって、勉強ができるだとか、外国語をいくつもしゃべれるだとか、そんなところで優劣を判断しようとするけれど、実際は人間誰しもが出来る事のほうが高度なんだと。自戒も込めて、本当にそう思います。

日本の空間認識はボトムアップ構造と相性がいい

日本人が、ボトムアップ型の思考だというのは、結構色々なところで言われていることですが、やはりこれも重要な部分ですし、非常にわかりやすかったので対談部分を引用しておきます。

猪子 (チームラボの作品)は実は集団制作で、作り手の個々人は全体を把握していません。西洋だと全体の図面を見ながらトップが細かく指示を出して設計しないと成立しないけど、日本人は全体のことをわかっていなくても個々人が主観的に見えるところにフォーカスを当ててつくっても、最終的に集積すると全体を捉えているものと論理的に同等になる。つまり、みんな自分の描いたものがどこに使われるのかわからないままボトムアップで描いても、日本的なパースペクティブなら凄くうまくいく。

宇野 いまの話、僕と濱野さんはもちろんAKBの話だと思って聞いていた。笑

猪子 日本の空間認識はボトムアップ構造と相性がよくて、同様に情報社会とも凄く相性がいい。

中略

濱野 日本はボトムアップ型のやり方がうまくいくとわかっていながらも、政治や経済など社会の真面目な部分は西洋のやり方を全部輸入してつくられている。日本型想像力は、娯楽や消費といった、世間的にはどうでもいいところでしかいかされていない。これは凄く困った事態だと思うんです。

日本の作品、特に漫画とか連載小説なんかは、どこに帰結するのかという最後のクライマックスを決めずに、とりあえず見切り発車して書き出すことが多いそうです。井上雄彦さんの『バガボンド』などはその典型ですよね…笑

でも、西洋の感覚からしたらそれはありえないらしく、「最後に描きたいものがあるからこそ、そこに向けて努力して書いていくんだ!」という真逆の発想らしいです。

このへんは「西洋は結果を求めるけど、日本はプロセスを楽しむ」とも表現されたりすることが多いですよね。

余談ですが、日本の伝統的な家屋もそのような作り方をしていると前にスタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんがラジオでお話していました。

「日本の家屋は、まず母屋を作って、そこから家族の増加に従って離れをつくったり、浴室や台所を増設していくという流れ。中心から波状的に増築されていく」という設計思想です。

その日本的な設計思想からヒントを得たのが『ハウルの動く城』のデザインだったりもするらしい。

思い出してみれば、宮崎駿さんも、最後のクライマックスを何にするか、全く考えずに映画製作を始めてしまうことで有名だったりするので、やはりこのボトムアップ型の思想と言うのは日本人の中に根付いている感覚なんだと思います。

日本はエコシステムをつくるのがうまくない。

濱野 日本人はエコシステムをつくるのが決してうまいわけじゃない。最近だとappleがエコシステムを作るのがうまくて、ソニーは下手だと言われていましたね。むしろ、システムやアーキテクチャがしょぼい方が、結果として日本人は賢くなる。

宇野 自動車やアニメーションも全部そうですよね。ものや仕組みそのものを発明しているわけじゃなく、そこは完コピなわけですよ。それがローカルな文脈のもとに、特殊な運用をしている間に全く別のものになってしまう。日本車や日本的リミテッドアニメがそうだったし、日本的インターネットもそう。

自分もこれは完全に同意。このことに関しては、以前にも詳しくこのブログで述べたことがあるので、このへんの記事をぜひ読んでみて欲しいです!

参照
腰抜け愛国談義から考える「これからの日本は脇役を目指すべきだ」というお話。 | 隠居系男子

J.Crewの日本再上陸はいつ?WIRED vol.9の特集にみるその魅力とは。 | 隠居系男子

最後に

本当は紹介したかったんですが、文字数から考えて端折ってしまいました部分も、本当に面白いものばかりでした。

「物質は有限だから略奪が必要、でも情報は無限だからそっちでやっていこう、今流行っているものも全てそれ。」というお話や…

「なぜ、AKBは個々のアイドルを輸出しないで、現地メンバーを採用してグループを増殖させていっているのか?」などなど…

本当に興味深いものばかりでした。

ページの分量としては少なめで非常に読みやすいのに、これだけ興味深い内容が多かったので本当にオススメです!

ぜひ気になった方は読んでみてください!

日本的想像力と 「新しい人間性」のゆくえ (PLANETS SELECTION for Kindle)

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

鳥井弘文

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