真のグローバル化とは、徹底的に日本の原風景を理解すること。

天川村滝

25年目にしてやっと気が付きました、どうも鳥井(@hirofumi21)です。

今回は、奈良・天川村の旅で気がついたこと、そして最近見たり聞いたりしてきたことがここにきて少しずつ繋がってきたので、ここで一度書き出してみたいと思います。

僕が奈良・天川村に行って気付いたこと。それは「真のグローバル化とは、徹底的に日本の原風景を理解するということ」でした。

真のグローバル化とはなにか。

世間一般的に言われているグローバル人材というものは、どの国でも働くことができ、どこでも暮らしていける、そんな精神的にも肉体的にもタフでマッチョな人のことだと思います。

世界がどんどんフラット化していく中で、インドや中国その他発展途上国の人々と同じ市場で戦って、その中でもしっかりとニーズに合わせて勝ち残っていける人であると。それこそ無色透明であったり、カメレオンのような存在。

でもそれは違います。一方では正しいかもしれませんが、僕はそうじゃないと思っています。

これからは国家が解体していき、徐々に国境はなくなり、さらにグローバル化が進むことは間違いないでしょう。それは既に多くの方が語ってきていることなので、ここでは省略します。

そうなると、世界がドンドン均一化していき、その地のドメスティックなものというのは一気に衰退していってしまうと思うはずです。

でも違うんです。その考え方は全く逆で、だからこそ、その土地の色が溢れ出るようなドメスティックなものが今よりも更に注目され、世界に受け入れられていくようになるんです。

世界のグローバル化は日本のロードサイドと同じ状況。

今の日本の状況と同じように捉えてもらえれば、理解しやすいかもしれません。

いま日本では、地方のロードサイドがどこも似たような風景となってしまっています。それこそ、どこに行ってもマクドナルドやイオン、UNIQLOなどが立ち並んでいる状況です。

じゃあ、日本人が地方のロードサイドに行きたいかと問われれば、「いや別に」って感じですよね?自分の住んでいるところから一番近い同じような場所に行ければそれで十分。それよりも京都や奈良、北海道のような、その地でしか味わえないようなモノ、観ることが出来ないようなものを楽しみに行きたいと願うはずです。

世界的に見れば、要は地方のロードサイドがグローバル都市にあたるものだと思います。グローバル都市にいけば、程度の差はあれど、その中心地はどこも同じような景色が広がっていて、同じ理想形を目指している状況です。

確かにそこに活気はあるかもしれませんし、経済発展しているので勢いを感じるでしょう。でも数カ所いけばすぐに飽きてくるはずです、結局は似たような景色が広がっているだけですから。そこに人としての感動は生まれません。

それよりも、その国にしかない超ドメスティックなものに人は惹かれるはずです。このへんの話は、以前書いた鈴木敏夫さんの話にも繋がることです。

参照:奈良の志賀直哉旧居と、鈴木敏夫✕アイフルホーム大竹会長の対談から考える、日本が進むべき未来とは。

地に足の着いたところから、新しい日本の文化が生まれる。

少し話は変わりますが、今回のこの気付きを得るにあたって、内田樹さんの『街場の憂国論』という本もとても参考になりました。

本来であれば、この本を読んで欲しいのですが、300ページ近くあり結構分量が多いので、そこまで気軽にオススメできるような本ではありません。

このブログでも何度か紹介したことのある『ラジオ版学問ノススメ』というポッドキャスト番組で、内田樹さんがゲストとして参加しており、この本の中で書かれていたことを要点絞って解説してくれています。

ゲスト:内田樹さん|2013年11月10日放送|ラジオ版 学問ノススメ|日本辺境論|街場の憂国論|JFN Online

ゲスト:内田樹さん【音声】|ラジオ版 学問ノススメ|JFN Online

若い人にはぜひ全部聞いて欲しいのですが、この本の中で特に僕が印象に残った部分「日本に残る原風景をもとに、地に足の着いた人々から新しい文化が生まれてくる」という話をここではご紹介したいと思います。

少し長いですが引用します。

最大の日本のアドバンテージというのは、この自然資源ですよね。ヨーロッパに比べてもアジアに比べても圧倒的に優れているのは、自然資源。森と水と水田ですよね。

今若い人たちの自立して起業したいという人たちが農業に向かっている。もちろん経済活動としてやろうとすると、大規模農業やってですね、飛行機で農薬をまくようなことしか出来ないんですけど、自分たちが食べていくということであったら、それは一町歩あればいい。

で、実際に今ね、若い人たちは食えないんですよ。一年分の食い扶持も稼げない、若い人たちの雇用条件ってそこまで劣化しているんですよ。食えないどころか体すら壊してしまう。

それだったら農業やろうかなっていう人が増えているんですけど、できるんですよこれが。耕作放棄地がいっぱいあって、ドンドン農業従事者が高齢化しているので、日本の里山は後継者求めているんですよ。若い人に農業やってもらいたいっていうところが日本中にあるんですよ。

この農業っていうのは生産性が低くてTPPでも真っ先に切られるところで、無くてもいい産業なんですけど、無くてもいい産業が、日本では本当に豊かな自然に恵まれているので、欲さえかかなければ、そこで働ければ一生食っていける。

このね、受け皿があるわけですよね。第一次産業という受け皿があるんですよ。シンガポールという地は農業なんて出来ない、土地がないから。
第一次産業っていうのは日本の場合豊かな自然がある、非常に豊かでフレンドリーな自然がある。

里山文化みたいなものは世界に類を見ないもの。近代化文明でだいぶ壊されてしまったけれど、宮崎駿さんのアニメみたいなものの中で里山文化っていいよねって、そうゆうセンチメントの感情が生き続けていて、若い人たちもそれを持っている。

今日本が求めている高学歴の低賃金労働者、そうゆうのに対して背を向けていった人たちに行き先がある。これが多分一番大きな潮目の変化になるじゃないかっていう気がしている。

結局最後に皆が発見するのは「国破れて山河あり」でね、結局今の日本って国民国家が解体していくんですけど、振り返ってみたら山河があったと。そこにこれから人々が入っていくんじゃないかなと。これはいろいろなところで予兆を感じる。

(中略)

都市の消費文化と、その周辺に広がっている農村文化というのは鴨長明の時代からずっと言われてきていることで、いつものパターン。ある意味これって見慣れた風景でもある、日本人にとっては。

非常に記号的な生活をしている人々と、地に足の着いた生活をしている人々。結局日本の場合は、地に足の着いた人々から新しい文化が生まれていくってことになっているんですよ。鎌倉仏教とか、坂東武士とかね。

日本的文化は常に土から来るので、今日本は過剰に記号化してしまった社会が解体していって、その危機に気がついた若い人たちが地に帰っていこうとしている。

地面に近いところからまたもう一回日本列島を再生していく。宗教とか伝統的な技芸とか芸術とか、もちろん生産とかいろんな形で出てくると思う。政治や市場が入り込めないエリアを作っていけばいい。これは世界的な傾向になっていくはず。

ここで内田樹さんが語っていることが、今まで自分が考えてきたこと・そして今回の天川村への旅で気付いたことと見事に合致しました。まさにこのような気運を僕も天川村で感じ取ったんだと思います。

日本の原風景をより理解するために、海外も観に行くこと。

じゃあ日本の里山文化だけを理解して、日本を一度も出る必要がないのかといえば、そうではありません。これは日本に篭っていただけではわからないこと。

僕も海外を積極的に観に行ったからこそ、ここに来てやっとこの真意に気がつくことが出来ました。矛盾するようですが、この意味を理解するためにも、海外には積極的に出ていくことも大切なことだと思っています。

他の国と比較して行く中で、自分たちの文化をより明確に浮き彫りにしていく。そのためにも、色々な国のドメスティックなものに触れた方がいいです。必要であれば、その地で生活もしてみるべきかもしれません。それが日本の理解を深めることにも繋がるはずですから。

最後に

こんな当たり前のことに気がつくまで、25年間も費やしてしまいました。

大切なことは、とことん島国精神をもつこと。とことん辺境の国であることに自覚的であること。

細田守さんと井上雄彦さんがswitchで対談していた時に「土が気になる」という話も、ここにつながってくる話だったのかもしれません。

日本の原風景を理解していくことが、今僕らの最優先課題だと思います。

そして時間もそれほど残っていないはずです。若い人たちがこの分野にもっと意識的に取り組んでいかなければ、今残っているものでさえも、ドンドンと記号的な消費の中に飲み込まれていってしまうはずでしょう。

同じような思いを持った若い人達同士のつながりを作り、そういった場を創造していけたらいいなと。

そのためにも、今自分ができることが何かを考えて実行していこうと思います。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

鳥井弘文

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