どうも鳥井(@hirofumi21)です。
最近ハマっているウェブ連載があります。それがこちら。
糸井さん、ぜんぶ聞いてもいいですか?|cakes編集部の記事、コラムを読むならcakes(ケイクス)
この第1回目で話題に上がっている『インターネット的 (PHP新書)』という新書を最近読み終えたのですが、ここに書かれている内容が今まさに現実となっていることばかりで、とても驚かされました。
2001年といえば、もう10年以上も前ですが「今現在起きていること・皆が徐々に注目し始めたこと」がこの本の中では既に語られているんです。
今回はこの書籍の予言が的中した部分、そして更にこれからこうなっていくであろうという部分をピックアップして書いていこうと思います。
インターネット的とは、リンク・シェア・フラットであること。
まずはじめに理解して欲しいのは「インターネット」と「インターネット的」であるということは、まるっきり違う概念だということ。
糸井さんが本書で書かれているインターネットとは、「伝える仕組み」のことであり、それは人間の生み出す情報という「料理」を、素早くどこにでも届ける「お皿」のようなものであると。
これまでインターネットを語る本は、「お皿」と「お皿を運ぶシステム」、「お皿にマークを入れる権利の奪い合い」や、「お皿の数」のことばかり書かれていたけれど、本当におもしろいのは、このお皿に何をのせるのかであると。
2013年現在においても、インターネット関連の本というのは、そういった「お皿」に関する書籍ばかりで、具体的な「料理」について語っている本というのはかなり少ないのではないでしょうか。
糸井さんは「”お皿にのせる料理以外には何も分からないくていい”という極端な立場でいたい」とおっしゃっており、そこからインターネット的とは一体どんな姿勢であるのかという事を語っています。
そして以下の3つの要素が、糸井さんの考えるインターネット的の鍵となる部分です。
リンク
まず一つ目がリンク。これはみなさん想像がつきやすいかもしれませんね。
リンクの反対語となっているのが「ジョイント」です。ジョイントとは「1つの問いに対して、1つの答えがある」そんな決まりきったセットのような繋がりを指します。
それに対してリンクというのは、「問いのほうにも、答えのほうにも、沢山の付属する情報があって、それが有機的につながり合っている」状態を指します。
一見不要な情報が、リンクとしての繋がりをみせて、思わぬことが起こりうると。
糸井さんはこれに関して、「ゾウについて調べているうちに、数学に感心を持って、パリの大学に留学して、現地でファッションの勉強をしている女性と恋に落ちました…なんていう想像もできない連鎖が起きる」という例を挙げています。
しかし、今の若い世代からすれば、これはむしろ当たり前で、そういったリンクの偶然性がない人生を送っている人の方が珍しいのではないでしょうか。
シェア
シェアは、このブログでも何度も書いてきた「場」を作るというお話です。
「情報を多くシェアする人のもとには更に情報が集まって来て、そこからまた拡散していく」という現象が起こっていくと。
これも今では、TwitterやFacebookを中心にドンドンと現実となってきている現象ですよね。糸井さんはこれを「情報の交差点」と呼んでいるのですが、以下の記事に詳しくまとめてあるので、ぜひ合わせて読んでみてください。
参照:次世代を生きる若者が、好きなモノに囲まれた人生を送るための唯一の方法。 | 隠居系男子
フラット
フラットとは、「それぞれが無名性で情報をやりとりすること」を指します。
それぞれのポジション、年齢、性別、価値などの意味が失われて、情報のやりとり自体に意味を持つと。
2001年当時、僕はまだ小学生でしたが、僕の覚えている限りでは、大人と同じ立場で活躍している子供は存在しませんでした。
しかし今やネット上には小学生も多数存在しますし、TwitterやLINEも当たり前のように使っています。はるかぜちゃんのツイートが拡散されていったのも記憶にあたらしいですよね。
価値観のフラット化で人々のプライオリティにも変化が。
また、糸井さんは「価値観のフラット化」についても予言しています。
今までの社会においては、人々のプライオリティ(優先順位)は同一だったと。「お金は一番大事なもの・上司の命令は家庭の事情に優先する」など、人々の価値の優先順位は同じであることが当たり前でした。
しかし、これからはその「価値」が多様化するだけではなく、その「価値の順位付け」さえも多様化していくはずだと本書で書かれています。
まさに、これが現代社会で起きている変化ですよね。
2000年代で人々の価値観は多様化してきました。さらに10年代に入って、その順位付けも変わってきています。
わかりやすい例として、アイドルオタクで考えてみましょう。2000年代に秋葉原ブームと共に、それが一つの趣味として「アイドルオタク」という地位を確立しました。
しかし、アイドルオタクは今やネット・リアル問わず、それ自体を仕事にしている人もいます。アイドルが自分の人生において一番プライオリティの高いものへと変化していったわけです。
「趣味が人生の中で一番プライオリティの高いものとなり、それを人生の生業としている人々がドンドン増えてきている。」この「価値観のフラット化」は、まさに10年代に入って起きている変化そのものではないでしょうか。
<追記>
「価値観のフラット化」について、もう少し深めた記事を別に書いてみました。合わせて読んでみてください。
“にぎわい”をつくりだす。
さて、ここまでが本書に書かれていた「予言の答え合わせ」だとしたら、ここからは更にこれからの未来に起こりうるであろうお話です。
それがこの“にぎわい”を創り出すということ。
糸井さんは「祭り」など”にぎわい”のあるものが、何かを創っていくと仰っています。それは歴史の観点から見ても明らかであると。
「インターネットを使えば、金儲け主体ではなく、何をしたいのか、どういう楽しさを生み出せるのか、ということをメインにして、自前で祭りができる可能性がある」と。この発想が『ほぼ日』の開設にもつながっています。
少し引用してみます。
(にぎわいのあるものは)アイディアというか、原点になる夢が大事なんですよね。どうやって金儲けしようかという欲ばかりがどんなにあっても、つまらなかったら、お客さんは来ないわけです。
何をしたいのか、どういう楽しさを生み出せるのか、という夢に共感してもらえなかったら、祭りは出来ないんですよ。それがないと、立派なものは出来ても、つまらないんです。
「どうやって食っていくのですか?」の問いに対して。
今でこそ『ほぼ日』は、ひとつの「市場」として確立したわけですが、開設当初は「どうやって食っていくのですか?」とよく聞かれたそうです。
糸井さんは「それこそが、工業化社会の事業計画の中から生まれる疑問」だと書かれています。
工業化社会のビジネスというのは、目標になるものがハッキリしていて、その到達地点から逆算して、今やるものを決めるというもの。
確かにこの基準からすれば、『ほぼ日』のような“にぎわい”を創りたいという発想から生まれた「場」と言うのは、全くお話になりません。
しかし、糸井さんがこの十年間のあいだに『ほぼ日』でにぎわいのある市場を実際に創りあげてしまったことがすべてを語っているように、そういった場をつくり上げることは可能なわけです。インターネット的であり続けさえすれば…。
自分自身の欲望が何であるのか。
そして今、多くの人を悩ませている原因がここにあると僕は思います。
過去の当たり前と、これからの当たり前が移り変わっていこうとしている時代の中で、自分のやりたいことは未来の方向を向いているのに、その合否を判断をしている自分は過去の基準である人があまりにも多い。
糸井さんの言葉を少し引用します。
新しいビジネスモデルがどうしたとか、ソリューションでサクセスでネットでマーケで創業者利益でゴーゴーゴー!みたいなことをいくら知っても、それは集金についての方法論であって、欲望やら消費やらについて語っているものでもないのです。売りたい側にも、買う側にも、消費をするはずの人々も、考えの行き着く先が、いったん「お金」でストップしてしまっている。
中略
まず、自分自身の欲望が、あるのかないのか。それはどんなに豊かなカタチをしているのか。誰に喜んでもらえるのか。そんなことが、ビジネスモデルの発見より前に必要なのだろうと、ぼくは考えています。
最後に
他にも「インターネット上で、毎日書くということ」や、「邱永漢さんが非常にインターネット的な方であり、その文体もとても優れている」など個人的に気になることは山ほどあったのですが、それまで書いてしまうと更に長くなってしまうのでこのへんでやめておきます。
この本は現代を生きる全ての人にオススメしたいです。今だからこそ、読む価値のある本だと僕は思います。
「これまでの答え合わせ」と「これからの未来」について考える上で、本当に刺激になる部分が多い書籍ですので、ぜひ手にとってみてください。Kindle版もあります!
それでは今日はこのへんで!
ではではー!
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