どうも鳥井(@hirofumi21)です。
バガボンド37巻を読みました。
(36巻の感想はこちら。→ 井上雄彦『バガボンド』36巻「耕す」ということ。 | 隠居系男子)
その単行本の最後に書かれていた言葉がとてもよかったです。
書きたいことが全然まとまっていないのですが、まとまらない感情をそのまま書いてみるのもたまにはいいかなと思うので、今日は思い浮かぶままに書いてみようと思います。
「交差する点にいる自分の確かさ」
37巻で「土の章」が完結し、単行本の裏表紙にはこのような言葉が書かれていました。
好ましいこともそうでないことも
互いに分かち合う、同時代に生きる人々がいる。家族であれ共同体であれ
スポーツであれ漫画の世界であれ
連続してきた歴史がある。空間と時間二本の線の長さ豊かさに想いを馳せることで、
交差する点にいる一人の自分の確かさを思い出している。井上雄彦
一つの作品ではなく、ドキュメンタリーの延長線上。
今回の「土の章」は、今までのバガボンドやその他井上雄彦作品とはどこか一線を画していたような気がします。
井上雄彦さんがこれまで体験してきた色々な出来事が、全てこの「土の章」の中に表現されていた感じといえばわかりやすいでしょうか。
これまでの作品は別々にわかれていたと思うのです。作品は作品、井上さんは井上さんであると。
しかし、この土の章に入ってからは、まさに井上雄彦さんのドキュメンタリーの延長線上を見ているかの様な印象を受けました。
それこそ、pepitaで訪れた場所で吸収したものをそのまま出しきっているというか…。
参照:承 井上雄彦 pepita2を読んで。日本人が受け取って、受け継いでいくもの。 | 隠居系男子
このバガボンドという作品を通して、井上さん自身もどんどん変化していっているのだと思います。
それは成熟とも言えると思いますが、どちらかと言えば、“成長”に近い感じ。周りから得たものをダイレクトに作品に反映していていって、まったく底が見えないなぁと…。
最後に
きっと自分はその成長に圧倒されていて、どこか嫉妬に近い感情もあるんだと思います。
今までのバガボンドは背中を押してもらえる感じだったのに、今回の「土の章」は、遠く目の前を走る人の背中を追いかけているような気持ちで読みました。
全てが井上雄彦という人間の表現であり、全く区切られていない感じ。ぼんやりとしたまーるい円があって、その中で各活動が色彩毎にグラデーションで混ざっているような…。
ここにも「日常」をそのまま表現している人がいるのだなと。
井上雄彦さんは、スラムダンクの頃からずっと僕らに「生き方」を教えてきてくれた方です。今回も今の時代を完璧に捉えた上で、その生き方を提示してくれたように思います。
全く上手く表現できないのですが、今回の37巻を読んでみてそんなことを思った次第です。
「特別展 建築家・ガウディ×漫画家・井上雄彦 -シンクロする創造の源泉」も早く観に行きたい。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。