どうも鳥井(@hirofumi21)です。
昨日に引き続き、今日も『弱いつながり 検索ワードを探す旅』を取り上げてみようと思います。
参照:現代を生きる旅好きの若者に読んで欲しい!東浩紀著『弱いつながり 検索ワードを探す旅』 | 隠居系男子
昨年、僕は「真のグローバル化とは、徹底的に日本の原風景を理解すること。」という記事を書きました。こちらの記事は個人的にとても思い入れの強い記事で、最近の行動指針でもあります。
しかし『弱いつながり』の中で東さんは、グローバル化は否定しない方がいいといいます。つまり自分が書いた意見とは真逆なわけです。これがまた非常に考えさせられる内容だったので、今日はそのことについて少し考えてみたいと思います。
「効率的なかたちに収斂していくのは、一種の必然。」
少し長いのですが、非常に大切な部分なので引用しておきます。
世界はいま急速に均質化しています。二〇世紀には、旅でまったく異なる他者、まったく異なる社会に出会うことが可能でした。けれども二一世紀には、世界中のほとんどのひとが、みな同じようなショッピングモールに行き、同じような服をまとい、同じような音楽を聴き、同じようなファストフードを食べる、そういう光景が現れると思います。
加えて、世界中でネットが通じ、どこにいても祖国の友だちと母語でチャットができる。決して孤独にはならない。本書がバックパッカーの旅ではなく、観光の旅をモデルにしているのは、そのような変化を前提にしているからです。
この変化を批判するひともいます。たしかに、地方性や固有性がフラットに均され、世界中がマクドナルドとハリウッドに収斂していくのは退屈かもしれません。しかし、そもそも人間は、民族や歴史の差異にかかわらず、みな同じ身体をしている。となると、求めるものにそこまでバリエーションがあるわけでもない。その前提のうえで、商業施設や交通機関といったインフラのデザインが効率的なかたちに収斂していくのは、別に暴力でもなんでもなく、一種の必然のように思います。
本書は検索と観光をテーマにしています。検索がグーグルをプラットフォームとしているように、観光はグローバル化をプラットフォームとしています。世界中に同じようなホテル、同じようなモール、同じようなチェーン店があるからこそ、ぼくたちは安心して観光ができます。
ひとはそれをコピーだらけの旅だと批判するかもしれません。しかしそれは偶然や出会いがないことは意味しません。検索が、検索ワードの入力によってそれぞれまったく異なる顔を見せるように、観光も、ツーリストの行動によってそれぞれまったく異なる顔を見せるからです。世界中が均質な時代になったからこそ、その均質さを利用してあちこちに行って、さまざまなひとに出会い、「憐れみ」のネットワークを張り巡らせるべきだと思います。
グローバルの波が押し寄せてくるからこそ、その国のローカルな部分が見えてくる
検索においてGoogleがプラットフォームになっているのと同様に、「観光はグローバル化がプラットフォームとなっている」というのは、ものすごくハッとさせられる内容でした。
大学卒業後、中国の北京に住みながら中国の大都市を見てまわり、その後東南アジア7カ国の各都市をまわり、そこで気がついたのは国ごとの違いであり、各国のローカルな部分です。
なぜそれがわかったのかといえば、グローバルという基準値があったからこそ。一部でグローバル化なされているから、その都市や国ごとの本当のローカルな部分が自然と浮き上がって見えてくるわけです。
もし仮にドメスティックなモノだらけだったら、その国の人々にとってどこが絶対に譲れないローカルな部分で、どこがグローバルでも対応可能な部分なのかは伝わってきません。
ミャンマーの日焼け止め「タナカ」はローカル?
例えばの話ですが、まだグローバルの波があまり押し寄せていない国にミャンマーがあります。
首都ヤンゴンでさえマクドナルドがまだ進出しておらず、非常にローカル感溢れる国です。東南アジアの中で僕が大好きな国のひとつ。
そんなミャンマーには、女性や子供たちが日常的に使用している「タナカ」という日焼け止めがあります。
画像引用元:Visualtraveling – Myanmar on Vimeo
参照:異国情緒が残る唯一の未開の地「ミャンマー」その魅力を引き出した不思議な映像 | 隠居系男子
このような感じで、町中を歩く女性や子供たちが当たり前のように顔に塗っています。
もしこれからミャンマーにグローバルの波が押し寄せて、資生堂やNIVEAなどが安価で「日焼け止め」を販売した場合、ミャンマーの人たちはそれでも「タナカ」を塗り続けるのでしょうか。
グローバルの波が押し寄せた時に初めて「タナカ」がミャンマー人にとってどれほど重要なものであるのかということがわかるはずです。
グローバルの波に飲み込まれず、それでもその国に残り続けるようなモノが、本当にその国にとってかけがえのないローカルなものであり、絶対に譲れない部分なんだと判断できるのだと思います。
最後に
今回「弱いつながり」を読んで、グローバルという波を一概に否定してはいけないなと反省しました。
その波があるからこそ、僕らはLCCで世界中を安価に移動することができ、エクスペディアのような格安ホテルの予約システムを使って世界中どこでも気軽に泊まれるようになったのです。
そして各国の「同じところ」と「違うところ」比較しながら、僕らはその国のめちゃくちゃドメスティックなものも発見することができる。
今回このことに気づけただけでも「弱いつながり」を読んだ価値がありました。個人的にものすごく腹落ちした瞬間。皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。
本当にオススメの書籍ですので、ぜひ読んでみて下さい。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!