白洲正子「たしなみについて」と宮﨑駿インタビューから思うこと。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、白洲正子さんの「たしなみについて」という本を読了しました。

この本が先日話題になっていた宮崎駿さんのインタビュー内容と重なるところがあったので、少し書き残しておこうと思います。

「言論の自由が萎縮している。」

インタビューの中で、ジャーナリスト青木理さんは「最近、言論の自由がどうも萎縮しているんではなかろうか」という質問をして、宮﨑駿さんは以下のように答えます。

そこに逃げ腰の表現があったりした時点で、それは匿名と一緒なのではないだろうか。愚かな奴はやっぱり自粛するだろうし、自粛した程度のものしか考えないで発言してたんだなっていうことだと思うんですよ。

青木理さんはこの宮﨑駿さんの言葉を振り返りながら「あの言葉の真意は、自粛なんかするな、自粛するから駄目になるんだ、という厳しい励ましであると解釈した」という風に語っていました。

「たしなみについて」も時代が時代なら大炎上。

そんな中、最近読み終えた白洲正子さんの「たしなみについて」という本を思い返してみると、もしこの内容が今のネット上に書かれていたら間違いなく大炎上するだろうなぁということが多く書かれていました。

斜に構えた読み方をする人たちであれば「ただ文句を言っているだけじゃん。」と捉える人も多いでしょう。むしろ、今のネット社会の中ではそうやってバッシングを受けるような内容ばかりだったと思います。

しかし、ちゃんと読めば、書きたいことを書きながらもその発言にしっかりと責任を持つ姿勢が文章のいたるところにあらわれている。ただ悪態をついているだけではないことは、容易に読み取ることができます。

当たり障りないことを書いて実名を載せるだけでは、匿名と変わらない。

今の世の中、当たり障りのない文章を書いて、書店のマーケティング力やネットのバイラル力によって大衆に読ませ、そこに自分のクレジットを入れているから自分は責任を真っ当していると思っている人が多い気がします。

それは匿名で書いていることととなんら変わらないのではないのでしょうか。むしろ、実名で書いているということを免罪符のように掲げている時点で、匿名よりもタチが悪い。

この点、過去の表現物は今の価値基準や社会通念の中で書かれていないので、参考になる部分が非常に多いです。今のように繋がりすぎていない時代だからこそ、個々人の独立した主張はさすがだなと。もっと過去の表現物は読んでいくべきだと思いました。

最後に

若い人にとって大変励みになる言葉が本書の中に書かれてあったので、最後にご紹介しておきます。

若い中は色々の失敗をしてみるのもいいと思います。恥をかく事がこわい様では何も実行出来ません。なんにも覚えもしません。

おしゃべりな人はしゃべればいいのです。書きたい人は書き、描きたい人も描けばいいのです。しゃべってしゃべってしゃべりぬいて、恥をかいたり後悔したりして、ついに、いくらしゃべってもどうにもなるものでない、と知れば無口になるにきまっています。

しゃべりたいのを我慢して、いくら機会をねらったとて、「珠玉の様な一言」なんて吐かれるものではないのです。

「そんな文章は書くんじゃない」と止めてくる人は山程います。そして、それは間違いなく正解なのでしょう。行く先に恥や後悔が待ち受けているのですから、当然です。

しかしそれでも書くという覚悟、それを実際に経験してみないとわからないからという馬鹿さ加減。それが大事なのではないのかなと。

罵られ、石を投げられたとしても書き続けられる覚悟と責任というのは、そういった経験なしでは身に付けることは不可能だろうなと最近よく思います。

今日ご紹介した宮﨑駿さんのインタビューはPodcastでも聴くことができるので、ぜひ気になる方は聴いてみてください。

宮崎駿さん独占インタビュー(ロングバージョン)TBS RADIO 954kHz | 荒川強啓 デイ・キャッチ!

白洲正子さんの「たしなみについて」はKindleでも読むことができます。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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