今朝ふと気づいてしまったんですが、僕が好きなひとには「下書きの数が多い」と語ってくれるひとが多いなあと。
しかも皆さん、なんだか似たような顔つきで、少し困ったような、半分諦めたようなクシャッとした笑顔で、その事実を教えてくれる。
なぜ僕は、下書き状態のものが多いと語ってくれるひとが好きなんだろう?
そんなことが気になったので、今日はそのことについて考えてみたいと思います。 続きを読む
今朝ふと気づいてしまったんですが、僕が好きなひとには「下書きの数が多い」と語ってくれるひとが多いなあと。
しかも皆さん、なんだか似たような顔つきで、少し困ったような、半分諦めたようなクシャッとした笑顔で、その事実を教えてくれる。
なぜ僕は、下書き状態のものが多いと語ってくれるひとが好きなんだろう?
そんなことが気になったので、今日はそのことについて考えてみたいと思います。 続きを読む
知っているひとは知っていると思うのですが、僕は自分のTwitterのトップにこのツイートを固定しています。
僕は、自分のTLを自分のものだって思っていなくて、最近流行の言葉で言えば、自分がつくりたい「小さな経済圏」の掲示板みたいな感覚でしかない。そこに何を書き込んだり、流したりすればもっともっとおもしろくなるかなあって考えながら、日々淡々と運用しているだけなんです。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年10月7日
本来、フォロワーを増やしたいなら、このツイートはネガティブな印象を与えるはずです。(RTが多いひとだと思われるから)
でも僕は結構意図的にこのツイートをトップに置いているんです。
その理由は、この感覚を共有できない人にはなるべくフォローして欲しくないと思っているから。
それは排他的な気持ちからというよりも、単純にお互いの不一致をなくしたいから。
参照:広く・大きく届けるよりも、届いたときの不一致をなくしたい。 | 隠居系男子
でもそのおかげで、僕のTwitterをフォローしてくれているみなさんは、とても理解のある方々ばかりで、本当に優秀な方が多いんです。
実際、ここのタイムラインをきっかけに、僕の知らないところで、フォロワーさん同士が友達になったり、お仕事を一緒にしていたりと、僕にとってはめちゃくちゃ嬉しい現象が立て続けに起こっています。 続きを読む
先日こんなツイートをしてみました。
これまでは、新しいプラットフォームやサービスをつくり出す側のほうがカッコよかったけど、最近は、続々と生み出されるプラットフォームをうまく使いこなしながら、新しい事業をドンドン生み出しつつ、全体として独自の世界観や独立した経済圏をつくり出すほうがカッコいいっていう流れになってきた。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月5日
なんでそう思うようになってきたのかなあって、改めて考えてみたんです。
今日はそんなお話を少しだけ。 続きを読む
先週末は、めちゃくちゃ多幸感溢れた週末を過ごすことができました。
なぜなら、「#勝手に十和田暮らし」と「#driptrip青森」このふたつのハッシュタグを同時に追って楽しむことができたから。
もちろん、このライブ配信も全部観てしまいました。(僕の手がはんぺんみたいだったって言ってもらえて嬉しかったです。笑)
dripメンバーと初ツイキャスしました!めちゃ貴重な話も聞けたのでぜひ見てみてください!内容はこんな感じ!
・ブログ名を声で表現するゲーム
・それぞれのメディアに抱く想い
・drip制作キャッシュレス時代の財布「PRESSo」のこだわり
・ちょこちょこみんなのメディアの宣伝#勝手に十和田暮らし https://t.co/dEzI6r6FsO— 佐田 真人|TOKIORI (@mst727) 2018年10月18日
昨日こんなツイートをしてみました。
人が怒りを持ち出すときには必ず何かしらの目的がある。でも、その目的達成から一番遠ざけてしまうのが怒り。怒りを発露すること自体が目的であればいいんだけど、そもそも発露したいだけの怒りなんてこの世には存在しない。冷静に、本来の目的を達成するための方法を探っていけば怒りなんて必要ない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月18日
「なぜ鳥井は何度も何度も繰り返し怒りについて書くのか?」そう不思議に思うひともいるかもしれませんが、それはひとえに「怒りで物事を解決しようとするひとたちを遠ざけるため」です。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月18日
これは確信を持って言えることなのですが「怒り、ダメ絶対。」って繰り返し主張していると、不思議なほど自分のまわりから怒りで物事を解決しようとするひとたちがいなくなる。もし今、自分のまわりに怒りで物事を解決しようとするひとが多く、悩んでいる方がいれば、ぜひ実践してみて欲しいことです。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月18日
ここ最近ずっと思っていることは、「広く・大きく届けたい」ということよりも、届いたときの「不一致をなくしたい」ということなんです。 続きを読む
昨日、こちらの動画を観まして。
この動画の中でキングコング西野さんが「一番笑うヤツが、一番のプラットフォームになる。」と語っていたのですが、それが本当にそのとおりだなあと。 続きを読む
先日、山梨県の甲府を訪れたときのこと。
五味醤油・五味兄妹のおふたりと、ヒラクさんとお話していて、
ヒラクさんの「なんで地方移住をするひとが増えてきたの?」という質問に対して、
「満員電車に乗るのがイヤだって言うひとは多いですよね。」と僕が答えたら、五味醤油の兄・五味仁さんが何気なくポロッと仰ったんです。
「そう考えると、満員の山手線って、自分の人生をあらためて考えるきっかけになっているわけだから、実は良い装置なのかもしれないね。」と。
なんだか、このセリフがとても強く印象に残っていて。 続きを読む
最近、ふと思い立ってこんなツイートをしました。
「一蓮托生」という言葉は、このご時世とても嫌われやすい言葉だと思う。でも先日、尊敬している友人が「ぼくと妻は一連托生ですからね」と言っていて、その姿がとてもカッコよかった。国家とか親族とか、周囲の人間が勝手に強要するから窮屈なだけで、いつの時代でも本人同士の決断は尊いし、美しい。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月11日
まったく別の文脈で、こんなツイートもしてみました。
昨日のSUSONOのイベントで「伝え方が9割」の著者である佐々木圭一さんが「僕、Win-Winって言葉が苦手なんですよね。相手がこのセリフを言ってくる時って大抵、相手が有利で、自分にとっては不利なときが多いから。」と仰っていて、めちゃくちゃ分かる…って思った。 #susonolife
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月16日
主張している内容は大きく異なりますが、話の構造は全く同じだと思っていて。
結局「誰が、どの立場で言うのか?」っていうことが何よりも重要なんだろうなあと。
内容が正論であっても、なんだかモヤモヤしてしまう状況ってあるじゃないですか。
それって、結局のところは「おまえが言うな」って感じているからだと思うんです。 続きを読む
最近、ずっと考えていることがあります。
それが今日のタイトルにもあるように「わからない問いを、あえてわからないままにしておくことの重要性」について。
どうしても僕らは何か新しい問いを見つけると、その答えをすぐに求めてしまいがち…。
でもそうすると、どうしても短絡的な発想になってしまうんですよね。
それは本当の答えじゃなくて、自分にとって都合のいい“偽りの答え”です。 続きを読む
最近気づいたことがありまして。
たとえ新参者であっても、そこに深みや厚みを感じて信頼に足ると思える感覚ってなんだろうなあって。
たとえば、ファッション。
ファッションって文化(カルチャー)そのものだから、その文化の深みや厚みがものすごく大事になってくる。
その文化に対する信頼感があるかどうかで、そのブランドがイケてるかどうかを判断しているフシさえあると思います。
そう考えると、ある程度しっかりと長く続いたブランドのほうが圧倒的に有利だと思えます。
なぜなら、新興ブランドはその文化の厚みや深みを体現できないから。
でも、実際はそうじゃない。
新興ブランドでも、そこにちゃんと文化が宿って、売れるところは売れていく。
じゃあ一体その新興ブランドに共通する点は何なんだろう…?と考えてみて、そこでふと気がついたんです。
新しくても売れてるところの共通点、それは「縦の系譜」をしっかりと継ぐ覚悟を持っているところだなと。 続きを読む
先日、ふと気がついたことがありまして。
わかった!やっと気付いた。人生において一番重要な問いは「自分は何を民主化したいのか?」という問いだ。より具体的には「誰を、何から開放して、どのように自由にしたいのか?」という問いです。その答えを導き出すためには「もし、〜だったら?」と絶えず考え続けること。あー、やっと腑に落ちた。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月7日
こうやって改めて言語化してみると大したことではないんですが、僕にとってはとても大切な発見でした。
これまでの経験が一気につながった瞬間だったんです。
そして、そのためには「眼は高く、手は低く。」という状態を常に保つことが大切なんだと思います。なんだか色々なことがつながった瞬間だ。 https://t.co/DFqjoUxfJB
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月7日
突然ですが、自分のことをちょっとでも「嫌なヤツだな」って思っているひとは、自分の話している様子をスマホなどで録音してみて、実際に聴いてみると良いですよ。
自分の話し方を自分の耳で聴いてみると、本当にめちゃくちゃ嫌なヤツで驚きますから。 続きを読む
昨日、まったく別々の文脈で2つのツイートをしてみました。
ひとつはこちら。
自分の信念に反して魂を売れば、うまくいく方法なんて山ほどある。自分の美意識から逸脱せずにその枠やルールの中で結果を出すことがめちゃくちゃ難しい。でもだからこそ、そこで諦めずに針の穴を通すような途方もないことに挑戦することが大切なんだと思います。それが自分の人生を生きるということ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月3日
そして、もうひとつはこちらです。
何か新しいことを始めたひとに対して、ロジカルに批判することは、誰にでもできること。でも、その批判が来ることさえも覚悟して、それでも一歩踏み出してチャレンジすることは、誰にでもできることじゃないんです。ただ、そのチャンスが目の前に存在していることは万人に共通していることなんだよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年10月3日
今日はこのふたつのツイートに込めた想いについて、少しだけ書いておこうかなあと。 続きを読む
先日、WaseiSalon内にも投稿してみたのですが、
とあるインフルエンサーの方が、一見するとご本人にとっては何もメリットがないようなネガティブブランディングをし続けている様子が、僕はずっと不思議でした。
でも、ふと気がついたんです。
これは全てリスクヘッジのためだったんだと。
今日はそんなお話を少しだけ。 続きを読む
何度も書いてきているように、今は国民総クリエイター時代。
センスがいいものをつくり出したいと思うときこそ、選び抜くことが大切。 | 隠居系男子
世の中に作り手が増えたことによって生まれる「共感」と「熱狂」。 | 隠居系男子
「生産活動をすること自体が消費である」という状況です。
僕が大学生のころは「消費者側になるな。作り手側にまわれ!」というアドバイスが一般的でした。
でも、これだけ全てのひとがあたりまえのように生産活動を始めると、それさえも意味のないアドバイスになってきています。
それぐらい今の時代は、全員が生産することを“消費するように”楽しんでいる時代になってきました。 続きを読む
「自分の人生の中で、何を減らしたいか?」
よく議論になるテーマですよね。
人によって、「なるべく満員電車に乗りたくない」とか「なるべくスーツを着たくない」とか色々とやりたくないことはあると思います。
僕の場合、なるべく“焦ること”を減らしたいと思っています。
特に「時間」に焦ることだけは極力減らしたい。
社内のメンバーがミスして焦るとか、先方と連絡が取れなくなって焦るとか、そういった問題は割と平気で耐えられるんですが、時間に焦ることだけは耐えられない…。
空港の保安検査場の優先レーンとかも極力絶対使いたくない。 続きを読む
昨日こんなツイートをしてみました。
「これだけ正論なのに、なんでわかってもらえないの…!?」と感じているひとが多い気がするんだけど、正論だからこそ、反発するんですよね。反対派が読んだら、ちょっとでも耳を傾けたくなるような発信にしていかないと、いつまでたっても世界は変わっていかない。より対立が深まる一方だと思います。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月26日
だけど、いまの世の中に多いのは、世界をより良い方向に進めていこうとするためのものではなく、良くも悪くも、それぞれの仲間内で結束力を高めるためだけの過激な主張ばかりになってしまっている気がします。それがものすごくもったいない。相手の気持ちを想像することが本当に大切だなあと思います。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月26日
いつもこのブログを読んでくださっている方の中には、「鳥井さん、また同じこと言ってんなあ…。」と思った方もいるかもしれません。
実際、このブログでも何度か似たようなことを書いてきました。
具体的にはこのあたりの記事に書いた内容に近い話です。
一億総クリエイター時代。
「センスが良いものをつくり出したい!」そう願っているひとも多いのではないでしょうか?(有形無形問わず)
でも、センスがいいものを形にするって、想像以上にむずかしい…。
自分の中で漠然とイメージが浮かんでいても、それを具現化することって本当に困難を極める作業ですよね。 続きを読む
タイトルは、先日のSUSONOのイベントで松浦弥太郎さんが仰っていたことです。
なんだかこの言葉を聞いた時に、ものすごくハッとしました。
誰もがはじめから上手にできるはずがない、でも心を込めることは誰にでもできること。
「約束を守ること」と同じぐらい、皆が平等に実現可能なことなんです。
20代の頃の僕は、「なるべく多くの人に届くこと」が一番重要だと思っていました。
でも、最近は少しずつ考え方が変わってきて、何よりも大切なことは「不一致をなくすこと」だと思うようになったんです。
今日はそんなお話を少しだけ。 続きを読む
このブログではもうお馴染みの堀口さんが更新していた、こちらのインタビュー記事を読みまして。
2012年に著書の中で「iPhoneは7で失速しiPhone8で終わりを迎える」「iPhone Xというハイエンドモデルが登場する」と予言をしていた神田昌典さんへmonographでインタビューをさせていただきました。… #NewsPicks https://t.co/eZGyAxT9sR
— 堀口英剛 #モノマリスト本発売中! (@infoNumber333) 2018年9月18日
本当におもしろい記事なので、このブログの読者のみなさんにもぜひ読んでみて欲しいです。
そして、僕が一番気になった部分はここ。
“今は憧れよりも、親近感が大切ということを理解しているんでしょうね。エッジを立てず、大衆と離れすぎない。それを分かって、あえてダサくの演出をしているのがすごいです。自分の魅せ方が分かっている。”:伝説のマーケター神田昌典氏と考察する、Appleの未来予想図。 https://t.co/IJOY4lagc1
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月18日
今日はこの話から派生して「親近感をつくり出せるインフルエンサーがこれからは重宝がられる。個人で活躍したいなら、親近感のほうが大切。」というお話を少しだけ書いてみたいと思います。 続きを読む
昨日、こんなツイートをしてみました。
「いつか実現する。」そうやって可能性の中に生きている限りは、本当の自分の人生は始まらない。自分が欲しいと思ったモノは、自分の手でつくってみるしかない。これはもう確信に近いのだけれど、有形無形問わず、何事においても自分が関わってつくり出したモノに囲まれて生きる人生が一番楽しいよ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月17日
ただし、時間は有限。全部が全部、自分の手でつくれるわけじゃない。だからこそ、自分じゃないけれど、自分がつくったと思えるほど当事者意識を持てる関係性をつくり出すことが大切なんだろうなあと。同じ志を持った仲間がつくったと思えれば、自分でつくったのと同じぐらいの幸福感を得られるよ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月17日
最近、この感覚を実感する機会がものすごく多くて。
今日はこの話に関連して、最近思っていることを少しだけ書いてみようかなと思います。 続きを読む
最近、「自分たちのブランドはやらないんですか?」って聞かれる機会が増えてきました。
僕の答えは以下のツイートにある通りです。
たまに「ブランドはやらないんですか?」と聞かれることもあるんですが、自分たちのブランドを立ち上げるつもりは今のところありません。やっぱり僕は“餅は餅屋”だと思っていて、僕らはあくまでメディア屋さん。今回みたいなコラボは積極的に仕掛けていこうと思いますが、自社ブランドはやれません。 https://t.co/yuem2rK9En
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年9月12日
今日は、この内容にもう少しだけ補足をしておこうかなと。 続きを読む
先週末は「うるまで暮らす~沖縄イチチぬ島の可能性とワタシの未来~」というイベントに登壇させていただきました。
このイベント中に初めて知ったのですが、うるま市の伊計島にはN高等学校の本校があるらしいのです。
この話を聞いて、改めて思いました。
これからの学習において、大人や子供に限らず、大切なことは「フィジカルで何を体験するのか?」ということなんだろうなあと。
今日はそんなお話を少しだけ。 続きを読む
最近よく考えていることのひとつに、同じように「他者に寄り添う」が上手なひとでも、共感力が高いひとと、共振力が高いひとがいるなあと。
一見すると、両者はとても似ているんですが、それぞれ違った強みと優しさを持っています。
今日はそんなお話を少しだけ。 続きを読む
昨日、灯台もと暮らしの編集会議でこんな話をしました。
近ごろ自分の納得感や心地よさを大切にして、社会の「こうあるべきだ!」という同調圧力に屈することなく、今この瞬間を大切にしながら、“自分らしい”暫定的な解を選び取ることができるひとが増えてきた。
でも、そこで選び取ったものが未来永劫続くのかと問われれば、否と答える。
自分の決断に対して、まだまだ自信を持てていないからだ、と。
人間の成長で言えば、よちよち歩きを始めた赤ちゃんのタイミングに近いのだと思います。 続きを読む
このブログではもうお馴染みの小倉ヒラクさんが先日こんなツイートをしていました。
読者の本を手に取る動機が、新しい世界に踏み入るきっかけや著者の世界観への応援だとすると、自前のコミュニティをもたない出版社は存在意義を無くしてしまう。知識の「カタログ商社」から、面白い世界の面白い人が集う「コミュニティ」にならないと本を読者に届けることができなくなりそうです。
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2018年9月3日
自分で本を出してみてビックリしたのが、出版社が自分たちの本の読者の実態を把握していないことでした。取次の流通に頼るので自分のお客さんの姿が見えない。その逆は青汁みたいな健康食品メーカー。彼らは商品よりも顧客情報のほうが最大の資産であることをよく知っています。青汁はスゴいよ…!
— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2018年9月3日
つまり僕が言いたいことはだな。
自分のつくっているものは誰の役に立っていて、それはどれくらいの人数でどんな人達なのか?という「コミュニティのポートフォリオ」こそが最強の資産だということ。自分が誰と関わっているのかを見失わなければ、外の大きなものに振り回されなくてすむ。— 小倉ヒラク (@o_hiraku) 2018年9月3日
この一連のツイートは本当にそのとおりだなと思いました。(一部抜粋なので、他のツイートもぜひ合わせて読んでみてください) 続きを読む
今この時代に大切なのは「結論」ではなく「問いの立て方」のほう。
そのうえで最近よく思うのですが、生き方それ自体が盛大な問いになっているひとは強いなあと。
だとすると、「どんな問いを発することができるのか?」ということがキモになってきますが、生き方そのものが問いになっているひとはやっぱり強い。
良くも悪くも、それだけでアテンションを集める理由になりますからね。
その一挙手一投足が、注目の的です。 続きを読む
世阿弥いわく、人間には、何をやってもうまくいく「男時(おどき)」と、何をやってもうまくいかない「女時(めどき)」が存在するそう。
この話を初めて聞いた時、僕はものすごく納得していました。
人間生きていると必ず、“波”というものは存在していることを実感しますよね。
そして、「いま自分がどんな状態にあるのか」その状態を客観的に判断することはとても重要なことだと感じるはずです。
もちろん、自分が波に乗っているときは好きなことをやればいい。ドンドン自分から仕掛けていって、行動あるのみ。
大事なのは、女時のタイミング。このときの振る舞い方がむずかしい…。
今日はそんなお話です。 続きを読む
いつだったか、WaseiSalonのメンバーでもあるタナカユウキさんが、ふとこんなことを言っていました。
「コミュニケーションの基礎が、誰もが幼稚園で当たり前のように習うような『自分がされたら嫌なことは、相手(他者)にもしない』ということだったはずなのに、最近はそれが変わってきましたね。」と。
僕はこの何気ない一言がしばらく頭から離れなくて…。
確かに、最近は「自分にとっては飛び上がるほど嬉しいことであっても、相手が嫌だと思う(であろう)ことはしない。」という風潮に変わってきている気がします。
つまり、考えるべき主体が完全に移り変わってきたということなのだろうなあと。
自己から、他者へ。ここ数年で一番大きく変わってきている点だと思います。
最近、このブログでも「相手の立場に立って考えることが大切」と何度も書いてきている理由も、まさにここにあります。