立石商店街で飲み歩きをしてみて思ったこと。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

先日、葛飾区にある立石商店街へ行ってきました。

いわゆる下町の商店街で、立ち飲み屋など小さな飲み屋さんも沢山集まっている昔懐かしい感じの商店街です。

ここで飲み歩きをしたわけなんですが、その中で一番面白かったのはお店ごとに色々なルールが存在するということ。並び方とか、食べ方とか、食べ残し禁止とか、お会計の仕方とか、本当に色々なルールが存在します。

立石商店街の飲み屋さんに限らず、日本の商店街にあるような個人経営の小さなお店には、そんな独自のルールがいっぱいあります。

たぶんこうゆうルールが面倒くさがられて、画一的なショッピングモールやチェーン店の居酒屋に移行していったのでしょう。

確かこういったお店の独自のルールはすごく窮屈ですし、とても気を使うんですが、自分が“お客様”になりきってしまわずに気を使う立場でいられるからこそ、学べることというのもたくさんあると思うんです。

「お邪魔させて頂いている」ぐらいの感覚の時に、人は一番客観的になることができる。視野も広がり、見えてくるものも圧倒的に増えてくるはずです。

自分がこれを一番実感したのは、海外で生活していた時でした。

どこまで行っても自分はその国の人間じゃない。あくまでも「人様の国にお邪魔させてもらっている」という感覚を忘れてはいけないと思いながら生活していました。

参照:「すごい勢いで日本化するアジア」を読んで思うこと。 | 隠居系男子

まさに「郷に入っては郷に従え」という状態です。でもそんな時ほど、実は多くの気付きを得られるんです。

そもそも人が成長したり、学んだりする時って何かを「比較」しているとき。「同じところ」と「違うところ」を意識しながら、それはなぜだろう?って考えられているときです。

いつも同じ居場所に安住して、自分がなんでもやってもらえる“王様”のような立場だとそれがわからなくなってしまう。

常に周りに気を使いながら、客観的な目線を失っていない時に一番多くの学びや発見が得られる状態だなと。少なくとも自分はそうです。

きっと「謙虚であれ!」や「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」という言葉の本意もそうゆうところにあるはず。

「立石商店街の飲み歩き」の話からはだいぶ逸れてしまいましたが、商店街の経験がそんなことを気づかせてくれたので、今回日記程度に書いてみました。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

スポンサードリンク