とうとう明日、セブ島ともお別れです。どうも鳥井です。
早いものでもう3月も残すところ2日となってしまいました。
3月といえば別れの季節。
これを読んで下さっている皆さんも色々な別れを経験したかもしれませんね。
そこで今日は、送別会や結婚式、卒業シーズンなどによく用いられる「自作動画や自作スライドショーをプレゼントするという行為」についてちょっと考えてみたいと思います。
「世間ではイケてるとされてるこのプレゼント行為は本当にイケてるのか?実はそれってすげぇダサいことなんじゃない?」っていう少し捻くれた視点から書いてみたいと思います。
さて、この自作動画を贈るというプレゼント、ガジェットの進化やアプリケーションの使いやすさの向上で、誰でも簡単に作れるようになり、今では当たり前のように行われるようになりました。
僕も過去にこれらを作ったり貰ったりしたことがありますが、そこそこの見栄えのものが、今の時代だと本当にカンタンに出来てしまいます。
「バブルの時のように高級なものを贈るのはイケてない!プライスレスなものを贈ろうぜ!」という発想で、ここ数年の間で80〜90年代生まれの若者を中心に広く普及し、定番のプレゼント行為の一つとなっています。
最近では、送別会や結婚式、卒業式などのイベント時に、それがまるで義務かのように様々な場で作られていると思います。
でもこれって本当に素敵なプレゼントなのでしょうか。
自分はなんだか強い違和感を感じてしまいます。
そして、僕はこれが将来的には「バブル期のクリスマスプレゼントには皆ティファニーを贈った。」と同じぐらい滑稽な行為になると思っています。
では、なぜそう感じてしまうのか。
それはたぶん、皆がプライスレスなモノを盲目的にイケてる!と評価してしまっているところにあると思っています。
誤解してほしくないのは、自作の動画やスライドショーを贈る行為自体がダサいと言っているのではありません。
贈る相手の事を真剣に考えて、様々なプレゼントの選択肢の中から選び抜いた結果、本当に動画やスライドショーが一番適していると判断し「且つ」必要な「素材」が揃っており、作る人間がそれを満足に仕上げられる「スキル」がある上で作られているのなら、僕は素晴らしい贈り物だと思います。
しかし、今現在、巷で行われている多くは、贈る相手のことを特に考えもせず「プライスレスなものを贈るのがイケてる!」という安易な発想だけで作られていると思います。
このバカの一つ覚えのように行われている事自体が、僕には激しくダサく思えてしまうのです。
こんな社会風潮の中であれば、逆にバカ高いものをプレゼントするほうがイケてるじゃないかと思ってしまうほどです。もちろん、それは本当に相手が必要とするモノで。
こう考えてくると、ビートたけしのプレゼントの仕方って実はすごくカッコいいなーって思えて来ます。
彼は、その芸人にとって「高級である」というその一点しか価値がないものを「笑いの為に」ボコボコに壊すなどして、後でさり気なくそれ以上高価なものをプレゼントしたりしています。
(詳しくは「ビートたけし プレゼント」とかでググってください。いろいろな逸話がヒットするはずです)
僕は常々思うのですが、最高のプレゼントとは、プレゼントそのものではなく「相手に何をあげようかと考えている時間」だと思います。
その人と共に過ごしてきた時間を振り返り、その人と交わした言動を一つ一つ辿っていきながら、そこに行き着いた過程そのものが本当の意味でのプレゼントなのではないでしょうか。
もちろんこれは相手に視覚的に伝わるものではないですが、本当に考え抜いて選ばれたプレゼントには、案外そういう思いも一緒に包まれて相手に伝わったりするものです。
社会生活を営む限り、いくつになってもプレゼント上手なヒトでありたいものですね。
たとえ世間がプライスレスなものを絶対的に称賛していたとしても、プレゼントを渡す相手が、本当にそれを欲しているわけではないかもしれません…。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。