自分にとって天職かどうかを見分ける方法、それは「その対象物のディティールが好きかどうか」なのかもしれません。
他人にとってはどうでもいい違い。
でも自分にとっては、そのディティールの違いこそが重要で、そんな違いを見つけたときに自然とテンションが上がってしまうもの。
その違いを見極めるために、自分の中でドンドンと解像度をあげていきたいと思えるかどうか。
自分にとっての天職を見極めるうえで、そんなことが大切なのかもしれません。
「スチーヴ友の会」で聞いた『暮らしのおへそ』一田憲子さんのお話。
なぜ突然こんな話を始めたかというと、先日行われた「スチーヴ友の会」で、一田憲子さんと松浦弥太郎さんの対談を聞いたからです。
「『暮らしのおへそ』を11年間続けてきて、大変だったことはありますか?」という松浦さんの質問に対して、一田さんは「色々な方に、暮らしのおへそ(習慣)をインタビューしていくと、だんだん同じような話が増えてくること、それが大変でした」と答えていました。
これは、僕らにはとてもよく理解できる話で、「灯台もと暮らし」でも地方在住の方々のお話を伺っていると、「あれ?この話、前にも聞いたことがあるな…。」と思ってしまう時がしばしばあります。
同ジャンルの取材を長く続けていけば、きっと誰しもがぶち当たる壁なのでしょう。
「暮らしのディティールが好きだった。」
ただ、そんなときに一田さんは、とある方から「でも、一田さんって暮らしのディティールが好きですよね!」と言われて、ハッとしたそうです。
「あっ、そうだ。自分は暮らしのディティールを見つけ出すことが好きだったんだ」と。
一見同じように見えても、人それぞれで異なる暮らしのおへそ(習慣)。
それを諦めずに突き詰めていこうと思い直してからは、更に解像度を高めて、そのディティールの違いを見いだせるようになってきたのだそうです。
ディティールを見極めようとする行為 = 努力の娯楽化。
僕はこの一田さんの話を聞いた時に、とても納得してしましました。そして、これこそが自分にとっての天職を見つけ出す方法だなと。
他人にとっては、どうでもいいこと。確かにおもしろいとは思うけど、そこまで突き詰めようとは思われないこと。
でも、自分にとってはどうしても気になってしまうし、その違いがおもしろいと思えるもの。
そんなことって、誰しも1つや2つ必ずあると思うんです。
そして、これこそがまさに「努力の娯楽化」にも繋がる話。
参照:倫理観と誠実さを持ち合わせ、人柄が良くセンスあるヤツが勝つ時代。 | 隠居系男子
そんなものを見つられた時点で、もう半分は到達できたようなもので、あとは淡々とその違いを突き詰めていきながら、解像度を上げていくだけでいいのでしょう。
皆さんにとっても何かしらの参考にもなれば幸いです。