サ式 × Wasei Salon コラボ勉強会「コミュニティという新しいチームのあり方」を終えて。 #サ式とWaseisalon

昨日は、サイボウズ式第2編集部さんとWaseisalonのコラボ勉強会でした。

参照:コミュニティコラボ勉強会やります! Wasei Salon × サイボウズ式第2編集部|Wasei Salon|note

話題の中心は「チームとコミュニティの違い」について。

やっぱり話題の中心は「チームとコミュニティの違い」について。

そしてそこから派生して「Waseisalonの目的とは何なのか?」ということで盛り上がりました。

僕もみなさんのお話を聞きながら、Waseisalonの目的をいろいろと考えてみたのですが、どれだけ考えてみても結局たどり着くところは同じだなと。

それは「これからの暮らしを考える。より幸せで納得感のある生き方を。」というWaseiが目指すところなんですよね。

常に中庸であることが大切。

そのために大切なことが「常に中庸であること」だと僕は思っていて。

自分のコーポレートサイトのインタビューでも引用してしまうほど、大好きな『バガボンド』の一節があります。

以前もこのブログで紹介したことがあるのですが、改めて少し引用してみますね。

引け目。それ自体は心に生じた小さな波にすぎぬ。不安な方へ振れれば心は閉じる。見まいとして固く閉じた心の中では、不安はやすやすと恐怖にかわり敵意へと育つ。

その逆もまた厄介だ。崇拝する、同化したがる、寄りかかって執着のできあがり。目も心も開いているようで閉じているのと同じ。強ければ何をしてもいいのか?違うよなぁ。

別れ道はいつも心のうちにあるわな。真ん中がいちばんいい。

引用元:バガボンド(30)(モーニングKC) | 井上 雄彦, 吉川 英治

参照:鳥井 弘文 インタビュー|メンバー|株式会社Wasei

やっぱり真ん中がいい。

今の世の中って、このどちらかに振り切っているひとがとても多い気がしていて。

誰かのつくった目的や夢にタダ乗りして、社会的に意義深かったり、規模がデカいことさえやっていれば、自分自身は思考停止でも構わないというひと。

一方で、考えることに意識が向き過ぎてしまって、他者を否定し排他的になり過ぎてしまうひと。

でも、ほんとうはやっぱり真ん中がいい。

真ん中にいることで、はじめて自分の人生が始まるのだと僕は信じています。

真ん中に引き戻してくれる関係性が必要。

ただし、これってものすごく脆いんですよ。

一人で実現することは本当に難しい…。

少なくとも、僕にとってはものすごく難しいことでした。

だからこそ、いつでも真ん中に引き戻してくれる関係性が必要だなと。

僕はこれまで、Waseiのメンバーにいつも引き戻してもらっていたように思います。ひとりだったら絶対に不可能だった。

きっと、どちらかに振り切ってしまわず、今もダークサイドに落ちなくて済んでいるのは、彼らのおかげだと思っています。本当に感謝しています。

だからこそ、そのような関係性をもっともっと広げていきたいのだと思います。これもひとつの恩送りのかたち。

それが、僕がつくりたい WaseiのSalonなのかもしれません。

最後に

最後にもう一度、今回のイベントのテーマに言及しておくと、イベント内では「Waseisalonはチームではなくコミュニティだ」という見解に落ち着いていました。

でも、あえて言わせてください。

Waseisalonは、これからの暮らしを考えながら、より幸せで納得感のある生き方をそれぞれが実現するためのチームであると。

昨日のみなさんのお話を受けて、なんだか僕はそんな風に考えました。

今日のお話が、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。

そして改めて、勉強会に参加してくださった皆さん、会場を提供してくれたサイボウズさん及びサ式の皆さん、Waseisalonメンバーの方々、本当にどうもありがとうございました!

次回もまた、こんな考える機会をみなさんと一緒につくっていけたら嬉しいです。

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