いま「物理空間のファジーさ」を体感するということ。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

先日もご紹介した「佐々木紀彦×東浩紀「強いネットを『弱く』するには——東浩紀『弱いつながり』(幻冬舎)刊行記念トークショー第1弾」」というイベント。

参照:編集者に向いている人と、ライターに向いている人の特徴とは? | 隠居系男子

その中で東浩紀さんが語っていた「物理空間のファジーさ」というお話が非常に興味深かったので、今日はこの事について少し考えてみようと思います。

「物理空間は、パラメータの数があまりにも多い。」

リアルの場というのは、色々な要素に左右されているものです。「時間」は当然のこと、「天気」や「体調」、「お金」など本当に様々な要素がからみ合って成立しています。

ゲンロンカフェも「五反田」や「雑居ビル」という要素だけでお客さんは来たり来なかったりするらしく、物理空間はパラメーターの数があまりにも多いと東さんは言います。

ネットは記号の集まりだから、ある程度情報を解析していけば予見や予測が出来てしまう。でも現実の空間というのは、そうではありません。

「偶然性の高さ」が物理空間の強みであって、この「物理空間のファジーさ」を体験するために、今改めて僕たちは「弱いつながり」を求めて観光にいかなければいけない。それが東さんの主張です。

高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代

物理空間では、何かしら予想外な事が必ず起こります。

でもネットはそうではありません。仮にネットの向こう側で予想外な事件が起きたとしても、自分にソレが降り掛かってくる事はまずあり得ません。ネットの向こう側で起きたことは、数値化・記号化されたものだけが届くのであって、本当の意味で空間を共有できてはいないからです。

以前僕は「高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。」という記事を書きました。

なぜ僕は「実体験の大切さ」をこれほどまでに力説するのか?

やはりその一番の理由は、実体験は得られる情報量が圧倒的に増えるからです。

情報と言えば、テキストの量や画像のピクセル、動画のサイズなど、数値化出来るものだけと判断されがちですが、“本当の意味での情報”というのは、数値化できないものの方が断然多いわけです。

それこそ五感をフルに使い、更に第6感、7感、8感…と僕らが全く意識していないような“感覚”すらも、実体験を通して“情報”がダイレクトに流れ込み、それを受け取っているはずなのです。

引用元:高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。 | 隠居系男子

今回の東さんのお話は、この部分をより深く理解するために役立つものだったと思います。

最後に

情報に溢れているように思えて、実は情報がドンドン減っている時代に僕たちは生きています。

記号ではなく「ナマの情報」を求め「物理空間のファジーさ」を体感するために、僕らは旅をする必要があるのだなと。

いま、人に直接会いたくなる理由、地方が注目される理由、旅が流行る理由というのも、実は全てここに原因があるのかもしれません。

もしかしたら人間としての根源的な欲求、生きるために必要な活力や原動力となるような目には見えない情報を得るために、今人々は”実体験”を求める方向へ急速に舵を切り始めたのかもしれないなと。

引用元:高度情報化社会とは、情報が“少ない”時代。 | 隠居系男子

僕もこうやってブログに書いておきながら、また忘れかけていました。今回の記事が皆さんの再認識のきっかけにもしてもらえたら幸いです。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

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