どうも鳥井(@hirofumi21)です。
昨日の鈴木敏夫さんの「プロデューサー勇退」の話に引き続き、「世代交代」について、今日は少し考えてみようと思います。
やはりもうリアルなストリートというのは原宿には存在しなくて、完全にネット上に移ってしまったのかもしれません…。
「Happy from Harajuku Tokyo」の動画に思うこと。
【動画】世界中でブーム、ファレル・ウィリアムス「Happy」の原宿版PV公開 | Fashionsnap.com
最近バズっていたこの動画。僕が観たときの第一印象は「有名な人が沢山いるなぁー」ということ。
原宿ほど「若者の街」というのは存在しなくて、10年ぐらい前までは、それこそ「新しいムーブメントが雨後の筍の様に出てきては消えていく」そんな理解に苦しむ街だったと思います。
…にも関わらず、この動画を見る限り、原宿の住人たちに大きな変化はありません。もうめっきり原宿へ行かなくなっってしまった自分でも、知っている顔が何人も登場するし、大体理解できてしまいます。
大人が幅を利かせちゃいけない街なのに、30代になっても”過去のカリスマ達”が原宿で幅を利かせちゃっているという…。
大人になったら、せめて青山・六本木方面か、代官山・中目黒方面に移っていかないとダメでしょう。
過去のカリスマの弊害
過去よりも大きなムーブメントが起きないと、「過去の世代の人々が素晴らしい!神だ!」とずーっと崇め続けられてしまうのは世の常です。
それは「過去のカリスマの弊害」と言えるようなものなのかもしれません。
お笑い界にしたって、いつまでたっても「タモリ・たけし・さんま」が幅を利かせてしまっているのと同じように。
でも、当時「タモリ・たけし・さんま」が想像を絶するような人気を博していた理由が、彼らのずば抜けた能力にあったかといえばそうではなく、国民が皆テレビにかじりついていたからという要因の方が大きいでしょう。
国民全体が同じ情報を与えられていたから、共通の話題になっていただけ。完全に時代とタイミングの問題です。
しかし、今はこれだけ趣味趣向が多様化してしまい、エンタメも細分化してしまいました。人口減少・少子高齢化も進む中で、過去と同様のムーブメントなんて起きるはずがありません。若い人同士で足並みを揃えることすら、ままならない世の中ですからね。
また、大御所の人たちも、これだけ不安定で激動の時代だからこそ、今の場所にしがみつこうするはずですし、それは仕方のないことだと思います。
ネット上に存在する「架空都市・東京」の中の「原宿」
じゃあ、若い人たちは、どうするべきなのか。
きっと、過去のカリスマが存在しない新しいフロンティアを探していくしかないんだと思います。
そしてそれが、昨今だと「インターネット」だったんでしょう。
お笑いでも、ネット上には面白い人達がたくさんいます。加藤はいねさんや、vineの女子高生、暇な女子大生、スマートフォン王国のお二人もそうかもしれません。
上記で述べた「原宿」のカルチャーにしてもそうです。
きゃりーぱみゅぱみゅが原宿の代名詞なんて言われていますが、あれはネット上にある「架空都市・東京」の中の「原宿」。
海外や地方から観た時に皆が描く「原宿」に対するイメージを、彼女がネット上で体現してきたというだけです。
その証拠に、彼女自身が話題になったきっかけもブログであり、アーティストとしてデビューした後もYouTubeやTwitterをきっかけに世界中で観られるようになったわけですから。
街と結びつかなくなったファッションアイコンたち。
今のファッションアイコン的な人たちは、基本的に街と紐付いていません。
メディアが語るとき、「渋谷っぽい」とか「原宿っぽい」とか、その街に共通認識として存在するイメージと紐付けて語ったほうが説明しやすいから、そう定義付けられているだけであって、実際はストリートカルチャーなんてモノはもう存在しておらず、みんなSNS上に自分たちの舞台を移してしまっています。
参照:ブームの創り方!!ガールズインフルエンサーに迫る | WWD JAPAN最新号 | WWD JAPAN.COM
この動画の冒頭が、電車に乗った植野有砂さんというのも、それを象徴しているように思います。たまたま偶然だったのかもしれないけれど、彼女が山手線から原宿に降り立つということ。
「決して、原宿の住人ではないよ、今回はたまたま原宿に来ただけだよ。」っていうのが、見事に表現されている様に感じます。
最後に
こうやって考えてくると、僕らがストリート世代の最後の世代だったのかもしれません。
いや、当時から既にネット世代ではあったけれど、ネットよりもまだまだストリートが主流だったころ。
でも、その関係性も完全に逆転してしまっていて、若者が中心の街は全てネットカルチャーを補完するための街となってしまいました。
やはりもう、本当のカルチャー発信源というのは、ネットの中だけになったのかもしれません。
そんな風に思う、今日この頃です。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!