人間に終末医療があるならば、過疎地域にも終末医療はあり得るのではないか?というお話。

先日ふと思いました。

人間に尊厳死があり得るのであれば、きっと地域にも尊厳死があるのではないかと。

尊厳死とまでは言わないまでも、終末医療はありうるのではないか。

今日はそんな話です。

納得しながら役目を終えてもらうようにすること。

日本の人口が激減するであろうということは、もうすでに起こった未来です。

かつての栄光を取り戻すこともなく、誰も住まなくなって消えていってしまう地域は確実に存在する。

言葉を選ばずに言えば、そんな地域(の人々)に納得しながら役目を終えてもらうようにすること。

下記の対談でも言及した「撤退戦」の話にも近いかもしれません。

参照:そもそも「移住の成功」そして「失敗」って? “移住ブーム”の明日を語る Part2 – rajomon

メディアの役割とは何なのか?

そして僕が考えることは「その時のメディアの役割とは何なのか?」ということ。

僕は、その土地の意志をしっかりと次世代に“残す”ことだと思います。

また昔のように元気を取り戻して存続してもらうことだけが“残す”ことではない、のかもしれないなと。

この土地にこんな地域があったのだという記憶。

そして、その地域で育まれた意志がしっかりと次世代にに受け継がれるようにしていくこと。

以前書いた、ジブリが企業として継承することができなかった話とも似ていると思います。

参照:スタジオジブリが企業として継承できなかったことの何がいけないのだろう? | 隠居系男子

最後に

今日の話は、とても極端な話です。

ただ、無理やり存続させることだけが善ではない。

自分の中でもこのあたりの答えはまだハッキリとは出ていません。

また考えが深まったらこのブログに書いてみたいと思います。

今日の視点がいつもこのブログを読んでくださっている方々の何かしらの参考になれば幸いです。

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