今日は、前回のブログの補足です。
地域の課題は、本当に地域住民だけで担わないといけないのか? | 隠居系男子
この記事に対して、美咲さんがこんなコメントをしてくれました。
ーー地域の課題も得意なひとがやればいい。地域外のひとであっても、
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これはとても悩ましいことで、「わたしは住んでいないから」と一歩引いてしまうことも多々。でも、得意・不得意や関心の度合いによって関わりを深めていけるのはとても健全だし、お互いを活かし合う意味でも大切な視点かも。 https://t.co/z1Ze659esQ— 美咲 (@tugumisaki) 2019年1月9日
それに対しての僕が感じたことが以下です。
本当にその通りで、これも言い方がむずかしいんですが「一歩引くことも良しとすればいい」と思うんですよね。「私は住んでいないから」は、介護で言えば「私は家族ではないから」と一緒で、その結果、責任を持てる家族と、医者や看護師などのエキスパートの二択になってしまっていたんだと思うんです。 https://t.co/oPlErz6w1B
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年1月9日
でも、本当はもっともっとその間のグラーデーションにいる人たちに助けられて、時には自分も助ける側に回って、誰もがそうやって支え合いながら生きていくことができる社会の方が理想だと僕は思うんです。当事者とエキスパートの人しかそのことについて考えないというのは実は良くないんじゃないかと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年1月9日
(※突然「介護問題」を引き合いに出しているのは、前回のブログで映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を引用しているから。)
地域課題におけるエキスパートの存在。
過疎地域に行くと、その土地に暮らす住民ではどうにもできない問題は、すべてエキスパートがどうにかしてくれると信じて、“先生”を探している様子はよく見かけます。
確かに、そんな先生と呼ばれるような存在は地方創生と呼ばれる分野にもたくさんいて、優秀な先生は、取り合い状態だと聞きます。
グラデーションにいる人たちと、どうやって新たな社会を形成していくか。
もちろん、そうやって研究者やコンサルタントの先生に頼ることが悪いことであるとは思いません。
確かに彼らが、地域にとって有益なアドバイスや適切な対処をしてくれることも多々あると思います。
でも、その先生が治療してくれたからと言って、人口が増え続けていた若いころの時代の街に戻してくれるわけではないはずです。
そしてどれだけ願ったところで、これからも人口が減り続けてしまうことは“既に起こった未来”なわけで…。
だからこそ、上述したように、大切なことは住民とエキスパートの間、そのグラデーションにいるひとたちと一緒に、どうやって現状に合わせた新たな社会を形成していくか、だと思うんです。
障害者や要介護者が、家族や医師(看護師)のようなエキスパートだけに頼るのではなく、社会の中でも生きていけるようになってきたのと同じように。
地域もそのためには、良い意味で住民以外の人間にも全力で頼って、ときには自分たちも助ける側に回り、互いに支え合って生きていることを自覚することができるような社会(コミュニティ)づくりが重要になってくるのではないのかなと。
そんな意味も込めて、昨日のブログも書いたつもりです。
最後に
『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』は、本当に考えさせられる映画です。
過疎地域の地方自治体の担当者の方々は、ぜひ大泉洋さんが演じる鹿野さんを自身の地域に見立ててみて、この映画を観てみて欲しいなあと思います。
きっと何かしら得られる気づきがあるはずです。
あと、これはネタバレになってしまうので詳しくは書きませんが、映画後半部分で鹿野さんが高畑充希さん演じる美咲に重要なことを告げるシーン。
あれも「この地域に移住して欲しい(住民票を移して欲しい)」と告げているようなものだと思うので、ぜひその部分も合わせ観てみて欲しいなと思います。
前回のブログ記事と合わせて、今日のお話がいつもこのブログを読んでくださっているみなさんにとっても、何かしらの参考になったら幸いです。