「マネタイズ」とか大声で叫ぶ人は、なんで日本でやっているんだろう?

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、不思議に思うことがあるんです。

おかげさまで、このブログを始めたことによって興味を持ってくれた人と会う機会も増えてきて、最近よく都内に足を運ぶようになりました。

三年ほど前に自分が都内に住んでいた時よりも、カフェの数が増えていて、そこで仕事の打ち合わせしている人も多く見掛けます。

そしてそこで、EXILEにフォーマルな洋服を着せたような人たちが、大きな声で「マネタイズ」「稼ぐ!」「儲ける!」って叫んでいるんですが、彼らはなぜ日本でやってるのかなーって。

もし「お金が欲しい」という事が第一目的なら、もっと市場が成長している場所に行けばいいのに!って思ってしまうわけです。

今回は、その理由を書きつつ、日本という市場でチャレンジすべき事は何なのかについて、少し書いてみようと思います。

日本で稼ごうとしている不思議。

中国や東南アジアを実際に歩いてみれば、この場所がこれから更にドンドンと伸びてくるであろうということは、一目瞭然です。

街中若者だらけですし、消費意欲が尋常じゃなくて「アレも欲しい、コレも欲しい!」とみんな目をギラギラさせている状態ですから。

もし「浪費するためのお金を得ること」を第一目的に掲げるならば、絶対にあちらに行った方がいいと思います。

これから経済成長も見込めない、高齢化がさらに進んで人口も減っていくであろう日本で、わざわざやることないのになーと。

以下の記事でも書きましたが、「稼ぐ」ことを目的にして中国やシンガポールなどに行っている人は、実際にとても多いわけです。

シンガポールから日本が学ぶべきところは“矛盾はあっても、葛藤はない”その姿。 | 隠居系男子

僕はシンガポールで「浪費するためのお金を得るため」に仕事をやっている人には全く興味はないですが、彼らはものすごく理にかなったことやってると思いますし、そこは純粋に尊敬します。

「お金を稼ぐこと」一点のみに絞って考えれば、彼らはそれに適した場所で、効果が最大限出るような行動をしている。

「浪費するお金が欲しい」ということは健全な欲求ですので個人の自由です。それを否定するつもりは微塵もありません。ガンガン手に入れて、ガンガン浪費すればいいと思います。

だからこそ、都内のカフェで色々と叫んでいる人たちはその市場を狙いに行ったほうが、ヤル気も能力も、もっともっと活かせるはずなのに!!って思ってしまうわけです。

日本のいいところは、良くも悪くも“人が成熟している”ところ。

僕が思うに、日本のいいところは、良くも悪くも“人が成熟している”ところです。

確かに、今の日本は消費意欲があまりない高齢者が中心ですし、若者も完全にしらけていて、マス広告には全く飛びつかなくなっています。

しかし、高齢者が多いということは、それだけ長い人生を生きてきているわけですから、価値観が成熟している人も相対的に多く、内容次第では共感してくれる人も多いわけです。

若者も、今の「大オタク時代」をみればわかるように、本当に面白いものを彼らがみつけられるような場所にさえ置いておけば、勝手に見て、勝手に拡散してくれるわけです。そして「次はないのか、次はないのか」と、どんどんハマっていってくれる。

それが日本の市場の良さではないでしょうか。

他のアジア諸国に比べたら、驚くほど価値観が多様化しており、価値のプライオリティ(優先順位)までも多様化してきている。リテラシーが高く、目利きの人も大勢いる。しかも、その人達に理解してもらえれば、ある程度の市場規模になり得るというのが日本という国です。

稼ぐ点においては成長を見込めないないかもしれませんが、このような日本の市場だからこそチャレンジできることが沢山あるはずです。

だから僕は、日本にいるのなら、自分の好きなものに時間をかけて、自分の信念に妥協しないものをつくったほうがいいと思うわけです。

最近書いた映画監督の砂田麻美さんや、糸井重里さんのように。

『夢と狂気の王国』を撮った砂田麻美監督が、あまりに現代的な表現者だった。 | 隠居系男子

2001年出版の糸井重里著『インターネット的』が驚くほどの預言書だった。 | 隠居系男子

多くの人に届けるためにはお金が必要だってホント?

こうゆう話をすると、絶対に批判として上がってくるのが「多くの人に届けるためには、余分にお金が必要だ」という話。

でも、今の世の中、本当に多くの人に届ける必要があるのでしょうか。

多くの人に届いたことろで、それが良い意味ですごく偏っているモノであれば、大部分の人にはスルーされて終わります。個性が溢れておりエッジの効いたものであればあるほどです。まさに、右の耳から入って左の耳に抜けていく状態。

それは、日本語がわからない人に、大きな声で日本語で話しかけて、「よし伝わった!」って満足しているようなものと同じではないでしょうか。

上でも書いたように、本当に面白いものであれば、自然と彼らには届きますし、そのモノ自体の存在をまだ知らなくとも、好きになる可能性を秘めているっていう人には、自然と届くようになっている。今ってそうゆう世の中に変わってきていると思うんです。

それを無理にお金の力で届けようとしちゃいけない。

砂田麻美監督の『夢と狂気の王国』だって、ジブリを題材にしているわけですから、もっとマスに届けようと思ったらやり方はたくさんあったはずです。しかし、そうはしなかった。それと引き換えに、自分の信念に妥協しないものを作った。

遠回りのようにみえて、そのほうが届くべき人には確実に届くわけですから、実際には近道になっている事が多いんです。

最後に

やり方は人それぞれ。考え方も人それぞれ。効果を最大化しないという選択も人それぞれ。

ただ、以上のような方法が理にかなっているかなと思ったので、今回少し書いてみました。

上述したような日本の状態は、いずれ他国でも主流になっていくはずでしょう。

今はまだまだ発展途上の国でも、日本が過去に通ったような高度経済成長期の道を辿るわけではなく、そこを飛び越えてこの次元に移ってくるはずです。それも本当に短い期間で…。

コレについても詳しく書きたいところですが、長くなってきてしまったので、この話はまた今度、別の機会に。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

鳥井弘文(@hirofumi21

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