日本の良いところはカオス感だと言うのは、言語化をサボっているだけ。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、色々な席で「日本の良いところは、何なのか?」という話になります。

そんな時、大抵「それはカオス感だ」というところに話が落ち着きます。

でもそれって、ただ単に言語化をサボっているだけなんではないでしょうか。今日はそんなことについて思うところがあったので、少し書いてみようと思います。

「カオス感」が何かを考えなければいけない。

「日本のいいところは、カオス感だ。」
「東京のいいところは、カオス感だよね。」
「秋葉原のいいところは、カオス感でしょ。」

…などなど、最近こんな感じで話が落ち着いていくことが非常に多いです。

このように落としこんでおけば、なんだか答えに辿り着いたような気分になれるからです。

日本という国は、世界には他に例のない、唯一無二の存在。だからこそ、なんだかそれでみんな納得したような気持ちになれてしまうのでしょう。

でも、そこで改めて「そのカオス感とはなんなのか」を考えないといけないんだと思います。

そして、きっとそれに答えはありません。

でも、答えがないからといって考えるのを諦めちゃいけない。

「侘び寂びのような伝統的な文化と、ポップカルチャーのような新興文化が、混ざり合ったものが日本だ。」

この結論に辿り着いただけで、満足してはいけないんです。

「じゃあ、そもそもその根底に流れるものっていうのは同じなの?違うの?」「じゃあ、なぜその2つは平行して、時に入り乱れながら発展してきたの?」

…などなど、一歩レベルを深めて考え続ける必要があるのではないでしょうか。

「人はなぜ生きるのか」にも近い考え方。

これは「人はなぜ生きるのか」にも近い考え方だと思います。

そんなことに答えはありません。でも、考え続けなければいけないことだというのも間違いないでしょう。

答えが出ないからといってそこで諦めてはいけないし、仮説を立てて、それを自分なりに検証してみて、ハズレて…でも少しだけ真理に近づいた気がして……そんな連綿とした繰り返しこそが、まさにその「答え」のような気もします。

最後に

日本も常に変わり続けているので、このカオス感が一体何なんなのかということもきっと答えは一生みつからないでしょう。

でも本当に、「日本の良さを知りたい。それを人に伝えていきたい。」というのであれば、それは常に考え続けなければならない命題なのだと思います。

「なんだかわかったような気になる。」「なんだか本質をついたような気になる。」それが一番いけないことだと。

僕もブログの中で「カオス感」という言葉は、いつも使ってきてしまった言葉です。でもそれではいけない、自戒を込めて本当にそう思います。

しばらくは、「カオス」や「混沌」などという言葉は封印して、そこにたどり着きそうになったら、更にそこから一歩踏み込んで「じゃあソレは何なのか?」をサボらずに言語化していこうと思います。

そんな宣言も含めた、今日のブログでした。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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