相手には即物的なところを褒めて、自己は内面を磨くべき。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

先日、千利休に関する記事を書きました。

千利休が現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。 | 隠居系男子

ここで書いた「茶道は簡単だった。簡単だから流行った。即物的なところがある。」という話が、自分の中でとても印象に残っていて、ここ最近ずっと頭から離れません。

お堅いイメージだった「茶の湯」が、実はそうではなかったという衝撃が大きかったのだと思います。

今日はこの話と、昨日読んだ「男女がメイクで重視するポイントの違い」について書かれた記事、こちらが非常に興味深かったので、この2つを合わせてご紹介してみようと思います。

一見何の関係もなさそうな話ですが、人間の欲を見極めるという意味で、この2つが自分の中でリンクしたので、その過程を書き残せたらなと。

相手に求めるものと、自分に与えるもの。

そのメイクに関する記事というのがこちら。

目ヂカラにこだわる女と、肌ツヤ重視の男たち…美意識のギャップはなぜ生まれる? – コスプレで女やってますけど

カンタンに内容を説明すると、女性がメイクの時に一番重視するのは「目」であって、一方男性が女性に求める部分は「肌」であると。

このブログの著者の方は、この違いが「戦後からの化粧品広告の変遷」から生まれていると書いており、読んでいてとても納得させられます。

さらに、これに付け加えて個人的に思うのは、男は女性に対して「内面からの美、一日にしてならない美しさ」に惹かれるのに対して、女性からすれば、すぐに変化が現れるもの、なりたい自分になれるものを重視するということも理由の1つなのではないかなと。

女性も肌が綺麗でありたいと思いつつも、それは一朝一夕で叶う話ではない。だからすぐに変化があらわれるアイメイクやネイルに向かうわけで、それが「売りたいメイク業界」と「すぐに変わりたい女性たち」とマッチし、どんどんこのような広告が増えていったように感じます。

これは決して、男女の違いというわけではなく、男も車や家など、分かりやすく自己顕示欲が満たされるものを欲しがり、一方で女性が男性に求めるものは「優しさ」だということからも分かる通り、人というのは往々にしてそうゆう生き物です。

相手に対しては「内から溢れ出る鍛錬された人間性」を要求し、自分に対しては「すぐに変われる何か」を求めてしまうという…。

相手には即物的なところを褒めて、自己は内面を磨くべき!

このように考えてくると、人というのは、即物的なところに“わかりやすく”なりたい自分を映し出すということがわかると思います。

「カタチから入る」という言葉が示すように、即物的な部分に人の欲が表れており、こうみられたいというところが一番端的に見て取れる部分なんです。

なのに人は、相手の即物的な部分に嫉妬し批難して、自分にはドンドンと与えていってしまうという。

でも、その逆なんです。本当は。

相手の即物的なところを褒めてあげて、自分は内面をコツコツと磨くべきであると。

相手に対しては、その人がどんな人になりたいのかを見極めて、その部分にカタチだけでも近づいているところをドンドンと褒めていき、自分は逆に内面の鍛錬から生まれる“美”を追い求めるべきなんでしょう。

だからこそ、男性が女性と向き合う時も、肌や仕草、体重など、そういった変化に時間がかかる部分を重視するのではなく、ファッションやネイル、髪や靴など、すぐに変化のあらわれる部分に注視して褒めてあげることの方が、よほど相手の微細な気持ちの変化に答えてあげられるはずなんです。

最後に

きっと、千利休や豊臣秀吉は、このような才能が人よりも何倍も何十倍も長けていたのでしょう。

だからこそ、多くの人々の賛同を得て巻き込みながら、時代のパラダイムを転換させていくことが出来たのだと思います。

こうゆうところは素直に見習うべきなんだろうなと。いやー、歴史って面白い!

これを読んでくれたあなたにも、なにか参考になる部分があったなら幸いです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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