「苦手な人もいるかもしれない」という想像力について。

どうも鳥井です。

某著名バンドの熱狂的なファンの方と出会うたびに、いつも感じることがありまして。

彼らは、そのバンドの音楽を苦手な人もいるかもしれないということを一切考えずに、「こんなにイケてるんだから、誰もが好きに決まってる!」という前提で会話を始めるんですよね。

「もしかしたら苦手な人もいるかもしれない」という想像力を働かせずに…。

また、これはもうずっと昔から言い続けていることなので、別に番組名を伏せるつもりもないんですけど、年末に放送されている「笑ってはいけないシリーズ」のファンの人にも、こういう方が多い印象です。

この点、ジャニオタや、K-POPオタの方々はどれだけ熱狂的なファンであっても、社会的に風当たり強い日々も送ってきているから、苦手な人もいるんだってかなり自覚的。そういう意味では、とてもマナーが良い人が多いなと。

「それだけが正義なんだ!と思う人がいるんだ」という想像力も大切。

だから、「苦手な人もいるかもしれないっていう想像力を働かせろ!」っていう結論で、この話を終わらせたら、ことは単純なんですけど、この話って逆もまた然りだと思っていて。

苦手な人がいるということをちゃんと想像できる人は、「それだけが正義なんだ!」と思う人がいるんだっていうことも、同時にちゃんと理解しないといけない。

「苦手な人もいるんだっていうことを、ちゃんと想像して!」と怒りをぶつけて、相手のことを否定しない。

上述した某著名バンドのファンの例でいえば、自分がそんな熱狂的なファンの人に出会ってしまった時でも、それだけで相手のことを否定しない。

「あー、この人は苦手な人もいるかもしれないという想像力を働かせることができない人なんだなあ」ぐらいにととどめておいて、頭ごなしに怒らないこと。

それが今、とても大事なことだと思っています。

なぜなら、ブロック化する世の中では、そういう宗教対立みたいなものが至るところで散見される世の中になる、ということですから。

最後に

自分と違う価値観を持った人に出会った時に、肯定も否定もしなくていい。

目の前の相手をただそのまま認めること。

それが本当の意味で、多様性を認めるということに繋がるんだと思います。

「多様性」というキーワードがでてくると、どうしても高尚な話に思えてきて、自分とは関係ないと思いがちですが、こんな風に誰の日常にも何気なく潜むものだと思うのです。

そんなことをふと思ったので、今日唐突に書いてみました。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。