転び方をアップデートしていく。

昨日書いた話を、もう少しだけ続けさせてください。

こだわらない、違いを楽しむ。そして、興味を持つこと。 | 隠居系男子

結果的に全部「降りる」が正しい。それは間違いありません。

先人の皆さんも口を揃えて、そう言ってますからね。

でもね、それが正しいからという理由で、なんでもかんでも若いうちから降りちゃいけないとも思うんです。

最終的に辿り着く場所が「全てから降りる」だとしても、自分が今楽しみたいことが目の前にあるのであれば、それを全力で楽しむべきなのではないでしょうか。

わかったふりこかない。

つまりは、わかったふりこかないこと。(※北海道弁)

最近の若い人たちは、極端に失敗を恐れるので、少しでも危険そうだと察知したらその先には進みません。

先人の歴史や失敗からまじめに学んで、自分は同じ轍を踏まないようにと、全力でソレを回避します。

でもね、やりたかったら自分でやってみれば良いんですよ。

先人の言葉を真に受けて、わかったふりこかない。

盛大にチャレンジしてみればいいと思うんです。

「実践者は歴史から学んで、違う転び方を経験し、そこから学ぶ」

そして、この時に大事なことは、絶対に先人と同じようには転ばないこと。

転ぶとしても、先人とはまた違った転び方をしてみる。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」といいますが、僕はどちらも大切だと思っています。

しいて言うなら「実践者は歴史から学んで、違う転び方を経験し、そこから学ぶ」という感じ。

ここまでは私なりの工夫で上手くいったけど、やっぱりここからはダメだった…というような。

つまり、今日の題名にもあるように「転び方をアップデートしていけ!」ということです。

だって、先人たちとは時代背景も社会システムもテクノロジーも、何もかも前提条件が異なるのですから。

もしかしたら、今までは全員が失敗していたとしても、万が一の可能性であなたが成功するかもしれない。

予想通りダメだったら、今回自分が失敗した理由を詳細にまとめて、また後世のためにあなたが書き残せばいい。

そんな失敗の連綿とした繰り返し、アップデートこそが人類の進化と向上そのものだと僕は思います。

「やっぱり日々の暮らしが大切。家は必要だった」

ちょっと具体的な例を挟むと、手前みそですが「灯台もと暮らし」編集長・伊佐の世界一周の経験なんかがまさにそうだと思います。

彼女は世界一周を先日終えて「やっぱり日々の暮らしが大切。家は必要だった」と語ります。

…いやいやいや、そんなの当たり前じゃないですか!

日々の暮らしが大切で、帰るための家が必要だなんて、少しの知恵がある人間だったら、世界一周をしてみなくても、わかります。

わかるからこそ、今の若い人たちは「家を捨て、働きながら世界一周をしてみたいなー」と思っても、賢い部分が働いてしまって「日々の暮らしが大事に決まってるでしょ。家が不要なわけがない」とチャレンジする前に諦めてしまう。

でもね、やっぱり全然説得力が違うんですよ。

僕たちよりも、実際に転んだ経験のある彼女が「日々の暮らしの大切さ、家の必要性」を伝えた方が、よっぽど説得力がある。

それは、彼女が徹底的にこだわって、彼女なりに工夫して二転三転と全力で転んできたからだと思います。

そして彼女は、これからも自ら転ぶことを繰り返しながら、その過程を通じて、新しい生き方や暮らし方を僕らに提案してくれるのでしょう。

最後に

頭では理解できているけれど、どうしても気になってしまうこと。

そんなものが自分の中にあるのであれば、歴史から学んだ上で、自ら進んで転びにいけばいい。

そして、そんな目の前の状況を全力で楽しみましょう。

自ら経験し、その経験を自分なりに咀嚼してみて、本当の意味で理解しない限り、人には伝えられません。

他人から笑われようとも、自らが実践者となって、転び方をアップデートしていく生き方が一番素敵だなと僕は思います。

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