人々が寛容で、精神的に豊かな時代は必ずやってくる。でも、誰も幸せにはならない。

今の社会状況から考えると不思議だと思う方もいるかもしれません。

でも僕は、「人々が寛容で、精神的に豊かな社会」は必ずやってくると思っています。

皆が自分のことを承認してくれて、身分や育ち、学歴やコンプレックスから開放されて、誰からも差別をされることなく、受け入れてもらえる社会。

でもその時に人々は、気づくのだと思います。

社会が精神的豊かさを獲得してもなお、自分は幸せにはなれないのだと。

「社会の物質的な豊かさ」と似ている。

これは、20世紀に社会が獲得した「物質的な豊かさ」にも似ているのかなと。「物さえあれば、幸せになれる!」と誰もが信じていたあの時代のように。

全く同じような経緯を辿らないにしても、歴史は往々にして韻を踏みます。

他者からの承認を、カンタンに満たせる世の中がやってくるでしょう。

この時代に、100円ショップで雑貨が何でも買えてしまうように。

ユニクロで質の高い洋服を、驚くほど安く買えてしまうように。

「本当にそんな世の中が訪れるの?」と疑問に思う人もいるかもしれませんが、人間の向上心をなめちゃいけません。

求めるものは貪欲に求め続けて、必ず獲得してしまうのが人間です。

社会は既に、精神的な豊かさを手に入れ始めている。

さて、ここまで書いてきて思いましたが、実は既にそんな豊かさを、社会は手に入れ始めているのかもしれません。

SNS上で「いいね!」数を可視化できるようになって、昔よりもかなり容易に他者からの「承認」を得られるようになりました。

同時に強烈な批判も目に入ってきたりと、まだまだ未完成な部分もありますが、自分と同じような悩みを抱える人がいて、自分に対して寛容な人々がいることも手に取るようわかるようになりました。

この先に訪れる未来も、今の若い子たちのコミュニティ文化をみていれば明らかです。

しっかりと住み分けを行い、他者に対しても寛容で、罵詈雑言がなく「いいね!」を中心にポジティブな言葉だけが飛び交う世界。

そんな世界を彼らは作り上げ始めています。

また、僕らより上の世代に対しては、機械がドンドン進化してくれるはずです。

Twitterが改善し続けているミュート機能や、最近話題のマスタドンのような分散型のコミュニティの潮流なんかが、まさにそう。

意見の対立する者同士の主張が目に入らないどころか、AIが先回りして他者と干渉しないように、未然に防いでくれる世の中がやってくるでしょう。

他者からの承認では、幸せは得られない。悩みは増え続けるばかり。

結果、みんなが他者に対して寛容になり、社会が精神的な豊かさを獲得します。

じゃあ、それで人々は幸せになるのでしょうか?

冒頭でも書いた通り、その答えは否でしょう。

現状でも、他者からの承認が増えて可視化さることによって「私は幸せになりました!」という人はいないですよね?

逆に、どれだけ他者が自分に対して寛容になってくれたとしても、悩みは日々増え続けるばかりだと思います。

最後に

「世の中に不満があるなら自分を変えろ!」というあの言葉は、紛れもない真実なのだと思います。

今の世の中に不満があるのであれば、自分の中の「価値基準を変える」しかない。

決して社会を変えようなんて思わないこと。

自分の中での納得感のある暮らしを手に入れて、自分なりの貢献感を得られる生業につくこと。

そうしなければ、人は本当に意味で幸せにはなれないのだと思います。

かなり極端な意見だとは思いますが、皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。

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