支援したいのは、あの頃の自分。

最近、polcaやVALU、クラウドファンディングなど他者を支援するためのウェブサービスが増えてきました。

僕自身これらのサービスを利用する機会も多く、「どうして、鳥井さんは他者を支援したくなるんですか?」と若い人に聞かれる機会が増えてきたので、僕の私見を少しだけ書いておきたいと思います。

「バッシュおじさん」も、あの頃の自分を支援したいから。

まず最初に結論を書いてしまうと、題名にもあるとおり「他者を支援しているようで、実際に支援しているのはあの頃の自分」なんだと思います。

だから、相手の中にいるあの頃の自分を見つけると、自然と支援したくなる。

若い頃の自分がこうしてもらった時すごく嬉しかったなとか、こういう人がいたらもっと人生変わったかもなとか、そういう思い出が掘り起こされるんです。

最近ツイートした「バッシュおじさん」なんかもまさにそう。

「分人主義」に近い感覚?

逆にいうと、その感覚がないと、どれだけ支援者が多く盛り上がっているプロジェクトでも自分から進んで支援しようという気にはなれません。

これって、平野啓一郎さんが言う「文人主義」にも近い発想だなあと。

参照:【佐渡島庸平】インターネットで親近感をつくるには

何かプロジェクトを見つけた時に、引き出される自分がいて、その引き出される自分を応援したくなって支援する感覚。明確な見返りを求めているわけでは決してないんですよね。

最後に

さて、ここまで考えてくると、対話形式の自己啓発系書籍も同じような構成に近いなということに気が付きました。

大抵の場合、対話形式のものって若者とおじいさんの対話形式が多いのですが、最終的におじいさんが「昔は僕も、君みたいな若者だった」と告白するシーンが必ずあります。

人が人を支援しようとする時の感覚というのは、ずっと変わらないのかもしれませんね。

だからこそ、若い人はドンドン若者らしい感性を丸出しにして、血気盛んにチャレンジしてみて欲しいと思います。

何か達観している風な若者よりも、果敢にチャレンジしている若者の方が応援したくなるものですから。

参照:大学生の感度の高さは尋常じゃないんだから、もっとそれを発信したほうがいいよというお話。 | 隠居系男子

このブログをいつも読んでくれている若い世代の人たちに何かしらの参考になれば幸いです。

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