昨日、こんなツイートをしてみました。
ウェブ上の有料コンテンツって、なんでプレゼント機能がないんだろう?オーディオブックもそうだし、noteの有料コンテンツとかもそう。「あの人に楽しんでもらいたい!」って思った時にプレゼントすることができないのは、なんだかもったいない気がする。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年3月6日
プレゼントって一番原始的な共有(コミュニケーション)の手段だと思うんですよね。でもなぜか、ネット上の共有は無料が前提に成り立っている。作り手と受け手の関係性だけじゃなくて、そこに第三者のコミュニケーションも介在させたほうがより良くなると思うんです。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年3月6日
「誰かのため」のほうがお金を使う。
こんなことを言ってしまうと、もともこもないですが、プレゼントやギフト需要の方が支払ってもいいと思える単価があがるんですよね。
お土産だってそうじゃないですか。
自分のためのチョコレートやスナック菓子だったら出せて数百円までだけど、お土産になった瞬間にゼロがひとつ増えて、1,000円を超えるお菓子も当たり前になる。
でも、それは決してぼったくられているわけではないですよね。
説明するまでもないですが、それは渡す相手とのコミュニケーションや“時間”に対して価値を感じていて、それだけの価値があると判断しているから人々は購入しているわけです。
参照:10万円の炊飯器は何にお金を払っているのか? | 隠居系男子
他者のクラウドファンディングを支援するときも、近しい感覚があるのかもしれません。
参照:今、VALUやCAMPFIREのような評価経済社会の循環の中に参加しておいたほうがいいと思う理由。 | 隠居系男子
最後に
最近僕が注目している若手のひとりである井上さんが、とてもいいことを仰っていました。
ネットのサービスではないですが、こういうのすごい好きです。誰かにプレゼントすることを軸にしたものやサービスは、買い手が共犯者になりやすいから、消費的な思考ではなくて、投資的な思考になって買えますよね、、、https://t.co/ryqHIPM2mZ
— TAKUMI INOUE (@takuminouemikke) 2018年3月7日
本当にその通りだと思います。
プレゼント需要を喚起させるというのは、共犯者をつくりだす方法でもある。
そして、今の若い人たちは「他者を出し抜いて自分だけ」という競争的な感覚ではなく、「価値観をともにする人とみんなで一緒につくる」という共創的な感覚の方が強い。
だから彼らを見ていると、自分のための浪費はほとんどしませんが、普段から当たり前のようにプレゼント(シェア)にはお金を使っているような印象を受けます。
たぶんそれは、編集者・安藤さんが言うコミュニティ内の「身内感」をつくり出すためでもある。
贈与こそコミュニティに必要な機能。
相互に贈与しあうことで、集団に「身内感」が生まれる。 https://t.co/xHpqAaE7EM— 安藤巖乙☮️(ANDO Iwao) (@iwando22) 2018年3月6日
最後はとりとめのない話になってしまいましたが、ネット上でも「贈与」の機能がドンドン実装されていけばいいなあと思う今日このごろです。
今日のお話がいつもこのブログを読んでくれている方々にとって、なにかしらの参考になれば幸いです。