どうも鳥井(@hirofumi21)です。
最近、何事においてもマニュアル化できない部分が非常に大切だなと思っています。
人によってはそれを「勘」や「直感」、「信念」と呼んだりするものかもしれません。
これを大切にすることが、今の世の中において非常に重要な事だということは、皆さんもなんとなく感じ取っていると思います。
しかし、学校という場所はこれらを養う上で本当に効果があるのか、むしろ有害な場合すらあるのではないのか?
決して学校という場所を否定したいわけではなく、「学校に行きたい、既に行っている」という人に、自分は何のために学校に行くのかを考えるきっかけとして欲しいと思うので、今回はこの事について少し書いていみようかと思います。
点数をつけられるカタチにして、評価するのが学校。
まずはじめに、ここでいう学校というのは、小学校や中学校など“義務教育の場”として社会のルールを学ぶ為に通う学校のことではありません。やりたいことが既に明確に決まっていて、その職業を意識して入るような“職業訓練の場”としての学校のことです。
そもそも教育とは、評価できる形に落とし込むものであり、点数をつけられるようにマニュアル化したものです。
人命や人権を侵害する恐れのある医療・法曹・官僚のような職業の場合であれば、このようなマニュアルの中でしっかりと基礎から学び、それに相応しい資格を習得する必要はあるでしょう。
しかし、受け取り側(消費者やユーザー)の価値観が大きく変化してきている時代の中で、過去の経験や過去の受け手を想定して作り上げられたマニュアル教育の中で評価されることに、果たして意味はあるのでしょうか。
過去の成功例を学んで、それをノウハウ化したものを同じようになぞったところで、もう当たる時代ではないはずです。
尾田栄一郎について語った井上雄彦の言葉
このことに関連して、井上雄彦さんが『ワンピース』の作者である尾田栄一郎さんの成功要因について『KAMINOGE』という雑誌で語っていたので、少し引用してみます。
『ワンピース』の成功は「男の子の思うこと」っていうのをそのまま描いたからですよ。あとやっぱり誰にも媚びてなかったんですよね。絵柄とか。
編集も「君の線、ちょっとつめたいよ」とかいろいろ言ったりするんですけど、たぶん彼はそんなの全然聞いていなかったと思う。 子供はもっと絵が強いほうが好きだとか、そういうセオリーみたいなものがあるっちゃあるんですけど、それは過去のデータで単にこれまでの話なんで。
そういうアドバイスっていうのは今までの経験で言ってるだけですからね。まあ、それしか言えないとも言えるし。でも彼は全然自分がいいと思うものを信じている感じがあって、それで「絶対この子大丈夫だな」と思った。
よく言われる話ですが、作家は既に作家であって、「作家になりたい」といった時はもう何本も書いていると。
「作家になりたい」と言いながら、まだ何も書いていないのであれば、それは作家という職業に憧れているだけであって「文章を書くことが好きでたまらない」という人間ではない。そんな話を耳にしたことがある方も多いはずです。
過去であれば職業自体に憧れ、あとは人に言われたものを書いていく“職業作家”だったり、“職業◯◯”というものでも成功できたのかもしれません。しかし、これから成功できるのは本当にそれが好きで好きでたまらない、自己を反映しないと作ることが出来ないくらい、全身全霊で向き合っているという人達に限られるでしょう。
参照:『夢と狂気の王国』を撮った砂田麻美監督が、あまりに現代的な表現者だった。 | 隠居系男子
評価に晒される環境は整っている。
これまでの時代の中では、自分で作った作品を他人に評価してもらうということは、非常に難しかったはずです。同じような仲間であったり、師匠のような存在を見つけるのも大変だったでしょう。
しかし、今の時代であれば、作品を作り上げるために必要な機材も安くなり、そこで作り上げたものが情報コンテンツであればネット上にアップすればいい。モノなら個人のECサイトを使って売ってみればいい。
また、TwitterやFacebookのようなSNSを使えば、同じようなコミュニティの人とカンタンに繋がっていくこともできるので、仲間を作ることも可能ですし、先人に教えを請うことだって出来てしまいます。
そう考えると、本当に高い学費を払ってまで「学校という場を利用する権利」と「その学校の生徒であるという肩書き」を購入する必要はあるのでしょうか。
最後に
今はモノが売れない時代です。だから不安になってしまって、まずは多くの人が好みそうな“平均的な”モノを作れる技能を身につけたくなってしまい、学校のような場所を求めてしまいます。
しかし、その平均的な技能で生み出したモノですら、売れる保証はどこにもありません。
どうせ同じように売れないんだったら、自分の感覚に従ってトコトン正しいと思うものを貫いて作っていった方がいいのではないでしょうか。特に、学校に通うような若い頃の方が、感性や感覚は何百倍も豊かなわけですから、それを学校に通って丸くしてしまうのは非常に勿体無いような気がしてしまいます。
もしそれでも怖いというなら、はなっから挑戦なんかせず、学歴や資格試験に逃げた方がいい。
最近目にしたもの、耳にしたものを通して僕はそんな風に思います。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!
鳥井弘文(@hirofumi21)
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