パーマリンクが使われなくなった理由と、「印象」が中心になっていく時代。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

以前、nanapi代表のけんすうさんがこんな記事を書いていました。

シェアするのに、URLのリンクである必要はない気がしてきた – nanapi社長日記 @kensuu

簡単にまとめると、最近は情報をシェアする際に、パーマリンクを送り合うのではなく、キャプチャ画像(スクリーンショット)を送り合って共有するようになったという話です。

これが非常に興味深い内容だったので、今回はこの原因をもう少し自分なりに掘り下げてみようと思います。

「スマホの普及・ガラケーPC時代との違い・アプリやログイン必須サービスの普及」そしてその結果、ストックとフローという概念よりも更に進んで、ただの“印象”となっていくのではないか、そんな話を少し書いてみようと思います。

スマホの普及

まず、人々がキャプチャ画像(スクリーンショット)を多用する様になってきた一番大きな原因は、やはり“スマホの普及”でしょう。

iPhoneが日本で発売されて、iPhone4sぐらいまでは「iPhoneでスクショを撮る方法」というのは、裏ワザの一つとして紹介されていました。

「iPhoneの便利な裏ワザまとめ」のような記事が書かれてると、毎回2〜3番目に上がってくるような機能だったんです。

しかし、今ではもう当たり前の機能となり、iPhoneを使っている若者の間でこの機能を知らない人はいないと思います。

少し話はそれますが、以前とある女子大生に「iPhoneが壊れた!」と相談されたので、状況を知るためにスクショ送ってと言ったら「なにそれ!?スクール水着ショット?」と冗談交じりで言われてしまいました笑

これは単なる笑い話でしかないですが、たった数カ月前の話です。しかし、今やスクショでシェアしたいものが彼女からバンバン送られてくるようになったので、やはりここ最近のこの変化は大きいんだなと実感しています。

ガラケー・パソコン時代との違い。

2つ目は、ガラケー・パソコン時代との違いです。

ガラケー時代、画像はとりあえず“保存”しておくものでした。端末に保存しておかないと、画像をもう一度見たくなった時にそれを探し出したり、再ダウンロードしたりと時間と手間がかかってしまったからです。

また、パソコンで画像を扱う場合も画像サイズや拡張子などの心配がありましたが、スマホで画像のやりとりをしている間はそんな心配は必要ありません。

もう一度見直したいときには、またその場に戻ればいい。画像は保存も編集もせずフローの場所に投げっぱなしで、ほとんどの場合アーカイブして扱うものとなってきています。

レスポンシブ・デザインの影響

もうひとつ、ガラケー・パソコン時代との大きな違いにレスポンシブ・デザインの影響があります。

レスポンシブ・デザインとは、単一のURLから各端末(PC・スマホ・タブレット)に最適化されたデザインが、勝手に表示されることを指します。

ガラケー・パソコン時代は、一つのサイトでもURLが2つ存在しましたよね。PC版とモバイル版。しかし、今はURLはひとつに統一されていており、その見え方も端末によって様々。

そのため、この状況をそのまま相手に伝えたい・シェアしたいという場合は、スクショを用いるしかなくなってきているわけです。

アプリ・ログインしないと使えないサービスが主流となっている。

3つ目の理由が「アプリ・ログインしないと使えないサービスが主流」となってきていることでしょう。

相手にシェアしたい、見てもらいたい!と思っても、相手が同様のアプリをインストールしていて、尚且つログインしていなければその情報を伝えることができません。

さらにTwitterのタイムラインに代表されるように、各自フォローしている相手が異なるなど、各個人に合わせたカスタマイズがなされているので、尚更同じ状況を作り出すことは困難です。

このような場合に相手に同じ情報を伝えようとしたところで、そこにはURLが存在しないので、そのまま伝えようと思ったらスクショを使うしかないわけです。

ただし、特筆すべきポイントは、そんな個人個人にカスタマイズされた画面を突然送られてきたとしても、皆が同じ端末・アプリ・ウェブサービスを使っているので大体理解できてしまうという点です。

OSにより多少の違いはあれど、その一枚の画像から相手が伝えたい内容を、誰もがしっかりと把握できてしまうというのも面白いところだと思います。

情報はフローの中でシェアされ、消化され、消えていく。

以上の3つが、僕の考えるパーマリンクが使われなくなってきた理由です。

「だから、おまえはこのことから何がいいたいの!?」ということですが、そこに明確な答えはまだありません。

ただ、これからの“情報”というのはフローの中でシェアされ、消化され、一瞬にして消えていくのだろうなと。

ネット上の“出来事”に限らず、生活の中の一場面というのは、増々蓄積されるものではなくなってきて、ドンドン生まれては消えていく運命にあるんだと思います。

この情報にはコレ!という永久的なリンクが付与されるわけではなく、一瞬を切り取られて様々なカタチでシェアされては、一瞬にして消えていく。

その中で多くの共感を得たり、良いモノというのが、URLを変えカタチを変えながらも沢山バラ撒かれ、“結果的に残っていく”のだと。

いままで「ストック型だ、フロー型だ」と散々議論されてきましたが、その概念すら越えてしまい、ただ人々の中の“印象”となっていくだけなのかもしれないと、まだ上手く言えませんが、そんな風に思いました。

最後に

TwitterやLINEで面白い人がいたとしても、僕らはもう彼ら・彼女らの何が面白いのかを上手く説明することができなくなってきています。

その瞬間にシェアされたソレが面白いのであって、過去から振り返ったところで、その感情を伝えることは非常に困難だからです。

さらに、自分の中で出来上がっているその人に対する“印象”が、ものすごくそれを左右してしまっていて、感覚的な部分で判断していることあまりに多いからです。

だから結果的に、「あの人はなんか面白い」ということに終止してしまうわけです。

この「なんか面白い」という印象を得てもらうためにはどうしたらいいのか、それをこれからの時代は考えていくべきなのかもしれません。

個人的には以下の記事に書いたようなことにヒントがあるような気がしています。
資格が必要ない職業は、学校に行く必要があるのか? | 隠居系男子

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

鳥井弘文

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