松尾芭蕉も現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

このブログで既に定番化しつつある、「現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。」シリーズ。

参照
千利休が現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。 | 隠居系男子

葛飾北斎も現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。 | 隠居系男子

今日は、松尾芭蕉です。

BS歴史館 シリーズ 江戸のスーパー変革者(1) 松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」を観て、自分なりにどうしても書き残しておきたいことを箇条書きでご紹介していこうと思います。

歴史の中に、自らを位置づける。

王朝の人々が達成したものと遜色ないものを追求したい。現世の素晴らしさ、俗の素晴らしさを。

「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ。」

歴史の中に自らを位置づける。そこには責任性がある。ミッションや使命がある。千年にわたる財産を正しく継承し、後世に伝えなければならない。

新しい美をつくりあげようとした。芭蕉は美を自分の目で作ることを決めた変革者だった。それまでの美意識をガラッと変えてしまった。

雅と俗を掛け合わせる。どちらか一方だけではダメ。コントラストをはっきりさせる。読み手が王朝のコードを知っている事が大事。

「蛙飛び込む 水の音」心の世界としての古池。

「いかに死ぬか」から「いかに生きるか」

深川に隠棲して、新たな生き方を模索した。

時代は、憂世から浮世へ変わっていた。「いかに死ぬか」ではなく、「いかに生きるか」にパラダイムシフトし始めていた時代。芭蕉もその可能性を探っていた。

立身出世を願ったこともあった、僧侶を目指そうとしたこともあった。そして芭蕉は遂に俳諧一筋となった。

身分制度が固まった時代、立身出世を願っても所詮は枠の中のこと、芭蕉はその価値観の転換をはかった。

全てを捨てる暮らし。身分を超えた生き方。芭蕉は、捨てることで人生の豊かさ、楽しさを見出そうとした。

100年の平和。かつては古典が金科玉条。芭蕉は「いかに生きるか」を模索する中で、「新しい価値観」を現実や俗世界、自然世界の中に求めようとした。

芭蕉にとって旅とは?

中世における旅とは、現世から立ち去る全てを捨てた人の姿。世捨て人、西行や兼好法師等。無一物が良いという生き方。

芭蕉にとっての旅は、世の中が嫌いなわけではなく、世の中と一線を引くための旅。

1人で作る俳句は明治以降のもの。俳諧はもともと仲間と一緒に句を作る言葉遊び(連句)だった。芭蕉はほとんどを連句として捉えている。

物事を言い尽くしてしまえばあとに何が残るのか、言い切らない、語りきらないということが想像力をかきたてて、芸術的な奥行きを創りだすと考えていた。

旅先では身分関係なくその地の人々と共に、連句をして楽しんだ。

結果として、都会だけではなく地方でも俳句が非常に盛んになり、深まっていく。明治以降の文化のあり方として影響を与えた。

芭蕉の行いは、一極集中ではない、日本の古来の文化の根強さと多様性を思い出させてくれる。

楽しく生きる。いいことと悪いことの境目が見えない。しかし必ず「環(たまき)」のように苦楽がワンセットなのが人生。

黙っていたほうが気持ちが伝わるという日本人の感性。俳句は更にそれを助長させた。

沈黙を重んじる文芸があるというのが日本らしい。グローバルの中からみると、非常にわかりにくい。しかしそれが良さでもある。

最後に

毎度予防線の様に書いていおりますが、今回もまた、松尾芭蕉という人物を一ミリも理解できていないと思います。でも面白いんだから仕方ない。書き残しておきたいんだから仕方ない。

それにしても、この「BS歴史館」という番組、本当にクオリティ高いです。

昔は「プロフェッショナル仕事の流儀」などドキュメンタリー番組とかの方を見漁っていましたが、最近はこっちの方が断然面白い。

YouTubeよりニコ動より、Huluより、NHKオンデマンド派です。

興味ある方はぜひ観てみてください!

NHKオンデマンド | BS歴史館 シリーズ 江戸のスーパー変革者(1) 松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

スポンサードリンク