社会起業家に感じる違和感と、メディア運営における社会起業的発想の怠慢。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

個人的に「社会起業家」という言葉がどうも苦手です。やはりどこか違和感を感じてしまいます。

今日はそんなことについて少し書いてみようかなと。

「社会起業家」的要素は、全ての起業家が標準装備すべきもの。

この前誰かが言っており、すごく納得したのが以下のような一言。

「これからの時代は、そもそも社会事業家的要素が含まれていない事業なんてものは成立しない。全事業が標準装備して然るべきものである。」

これは完全に同意です。

そもそも、企業というものは、もう公益性・社会性がないと存在し得ないですし、これは最低条件です。

だからこそ、全ての起業家は社会起業家的要素を持つべきであって、社会起業家的要素を持ちえていない起業家というのは、もう今後は起業家としてあり得ないと。

社会起業家だからという理由で、「エシカル消費」や「フェアトレード」のような言葉や思想にかこつけて、「収益性」や「品質」を軽視しているようではダメで、きっと自分が「社会起業家」という言葉に違和感を感じる理由も、ここにあるのだと思います。

メディア運営における社会起業家的発想の怠慢

さて、言いたいことは全て言い尽くしたので、今日のブログはここで終わってもいいのですが、この考え方を「メディア運営」に置き換えて、少しだけ考えてみようと思います。

メディア運営においても、「良い記事」や「社会的に意義のある記事」を提供していればOK!バイラルなんかしなくても良い!いう風潮が一部であります。

「PVや収益化に走るのは良くない!」と考える立場です。

しかし、これからの時代のウェブメディアにおいて、“内容のある記事”というのは最低条件であって、それで満足してはいけません。

「バイラルさせ、Adsenseやアフィリエイトの収益があれば内容は何でも良い。」というのは最早論外ですが、ただ、“内容のある記事”だけを提供していれば良いということでもないと思います。

しっかり読まれて、しっかり伝わり、しっかり稼げて、それができて初めて、一人前のウェブメディアとして認めてもらうことができる世の中になっていくのでしょう。

最後に

これからの時代は、「健全な状態・目指すべき姿・本来あるべき形」などを常に考えていかなければいけないのだと思います。

「アレをすれば、コレをしなくても許される。」というのは経営者側の怠慢でしかなく、社会正義を盾にして、難しい部分や面倒くさい部分に手を出していないというのが一番最悪。

自戒込めて、本当にそう思います。

非常に難しい時代ですが、その分やりがいもある時代になってきたともいえるのではないでしょうか。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

スポンサードリンク