どうも鳥井(@hirofumi21)です。
井上雄彦さんがガウディの建築「ベリェスグアルド」を訪れた際に書いたブログを先日読みました。
特に気になったのは、この部分。
細かな部分や丸みのある部分は小さな石を、そうでない部分は大きな石を使ってある。石の色は入念に吟味されてしかるべき場所にしかるべき組み合わせで配置されていて、その色合わせは自然と人間との共作のような趣がある。
「人間と自然の共作」だと感じる瞬間。
芸術センスがなくて、アートのウンチクを知らなくても「人間と自然の共作」だというのがぼんやりと伝わってくる瞬間があります。
その時にその場で体感するからこそ、感じられるようなもの。
逆に言えば、その土地を離れてしまったら、それは「人間と自然の共作」であると、心から感じることができなくなるもの。
料理でもそうだと思いますが、普通の郷土料理や家庭料理でも、その地で食べることにより「地産地消って最高だ」って心の底から思える瞬間があると思います。
これを世界中どこでも食べられるようにしてしまうと、その瞬間「ありがたいお話」や「ウンチク」を並べ立てなきゃいけなくなるわけで…。
「人間と自然の共作」と感じられるような“何か”というのは、それぐらい繊細で敏感なものだと思います。
全身全霊でそこに存在しているからこそ、心の底から美しいと思える。
きっと、この世の中のモノというのはどれもそうなんでしょう。
もうこのブログでも何度も何度も強調してきていますが、めちゃくちゃドメスティックなものがグローバルだと感じるという瞬間も、たぶんこれと同じ理由。
参照:真のグローバル化とは、徹底的に日本の原風景を理解すること。 | 隠居系男子
結局は、「適材適所」が一番重要な要素であって、「そこにあるべきものがそこにあって、初めて美しい。全身全霊でそこに存在しているからこそ、心の底から美しいと思える。」まさにそうゆうことなのではないかなと。
最後に
この感覚を研ぎ澄ましていくこと。
それがこれからの時代において、大切になってくるのではないのかなと思います。
もしかしたら、これがすなわち「直感」なのかもしれません。かなり漠然とした結論ですが、なんだか最近そんなことを考えています。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。