「やりたくないこと」と「面倒くさいこと」の違いとは?

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

今日の内容は、完全に個人の気付きレベルでしかありません。

ただ「本当に好きなことをやってみたい!」「なにか新しいことを始めたい!」と思っている人にとって少しでも参考になればと思い、今回書き残しておこうと思います。

夢や目標が「達成不可能だ」思ってしまう原因を明確にすること。

「なんだか面白そうだなぁ。やってみたいなぁ。」と思っても、それが壮大な夢のように思えてしまうと僕らはすぐに「無理だ」「不可能だ」と諦めてしまいます。

しかし、その不可能だと思う原因がどこから来ているのか、それをできる限り明確にしていけば、実は解決できそうな事の集合体であることに気がつく事ができます。

起こるであろう課題やリスク、解決しなければいけない問題などを細かく細分化していくことによって、訪れる可能性のある問題の一つ一つは意外とカンタンなことだったと気付けたりするわけです。

「無理だ」「不可能だ」と思ってしまう原因が、暗闇の中の大きな黒い塊ように思えてしまうから、恐れおののいてしまうだけ。

しっかりと分解し、その要素を見定めることさえ出来てしまえば、あとはそれを一つずつ解決していく“根気”や“熱量”でどうにかなったりするんです。

ただ、ここで一番重要な事というのは、その細分化されたリスクや課題に対して「やりたくない」と思うのか、「面倒くさい」と思うのかをしっかりと把握すること。

もし「やりたくない」という感情がでてきたのであれば、決してやるべきじゃないと思いますし、逆に「面倒くさい」という感情であるならば、積極的にチャレンジしていくべきだと僕は思います。

「やりたくない」と「面倒くさい」は紙一重。しかし全くの別物。

多くの人はこの2つの感情を混同してしまいがちです。

そもそも、「やりたくない」と、「面倒くさい」の違いとは何でしょう?

「やりたくないこと」というのは、いつどんな場面においてもやりたくないことだと思います。どれだけ気分がノッている時でも絶対にやりたくない。自分のプライドに反する行為などがそれにあたるのでしょう。

一方、「面倒くさいこと」というのは、気分がノッてる時はやってもいいかなと思えるもの。往々にして気分に左右されてしまいがちなことです。時と場合によっては、ものすごく楽しくできる時もあったりするのがそれです。

もし夢や目標が本当に達成できた時には、それすらも良い思い出に変わるだろうと思えることが「面倒くさいこと」なんだと思います。

この感覚の違いは人それぞれなので、基準は様々でしょう。わかりやすく言えば「語学学習」なんかは多くの人にとって「面倒くさいこと」の代名詞ではないでしょうか。あとスポーツの分野で言えば、足腰をつくるための「走り込み」なんかもそれに当たると思います。

最後に

まずは、自分が「どうせ不可能だ」と思っているようなことの原因を曖昧にせず、できる限り具体的に細分化してみること。

そして、そこで明確になった課題やリスク、不安や怖れのようなモノが自分にとって「やりたくないこと」なのか「面倒くさいことなのか」を今一度自分に問い直してみること。

この過程が何よりも大事だと思う今日このごろです。「面倒くさいこと」であれば積極的にチャレンジしていくべきなのでしょう。

今日の記事が何か新しいことに挑戦したいと思っている人の参考になれば幸いです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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